姿勢がいつもきれいだった。ぴんと背筋を伸ばして、真っ直ぐと前を向く。重心が左右どちらかに傾いていることなんてまずなかった。真っ青な空の下、訓練用のMSを前に凛と立つ後ろ姿は、今でも鮮明にまぶたの裏に思い描くことができる。

 

 

blue

 

 

 

 いつだったか、敷地のペーブメント沿いに並べられたベンチに並んで腰掛けて、他愛ない話をしたことがあった。ルームメイトで、四六時中顔を付き合わせている間柄だ。一緒に話す機会なんてそれだけじゃなくて沢山あっただろうに、なぜかその時はそういう風に話をした。
 私は自販機で買ってきた紙コップ入りのコーヒーを、は売店で買ってきたミネラルウォーターのペットボトルを片手に、どことなく前を見つめながら、ぽつりぽつりと言葉を交わした。天気は快晴。どこまでも、遠くに見えるMSの訓練場のそのまた向こうまで、雲一つ無い青空が続いている。


「俺、自分がユニオンブルーに身を包む姿がいつも想像できないんだ。」
 

 がそんなことを言ったのは、何の話題の時だったろう。紙コップに付けていた口を離して、私は隣の彼を見た。の方は、真っ直ぐと前を向いたままこちらを見てはいなかった。
 まじまじと見つめているのが今更ながら失礼な気がして、直ぐに視線を彼から剥がし、私は頭の中での言葉を何度か反芻してみた。
 ユニオンブルー。
 私たちが、この士官学校を出たら揃って身につけるだろう、ユニオンの軍服。丁度、今の青空のようなその色を「ユニオンブルー」と呼ぶ者は少なくない。何の疑問も持ったことはなかった。ここを出たら、矜持と共に身につける青。
 

「おかしなことを言い出すな。」
 

 ぴく、と勝手に自分の左の眉が跳ねるのを自覚する。大体、想像できないとはどういうことだ。ここに居る以上、ゆくゆくはユニオンの軍人となるしか無いだろう。しかもは成績も優秀、直ぐにユニオンのMS部隊でも選りすぐりの部隊に選出されるはずだ。もちろん、私と共に。
 士官学校に入学する前だとか、したてとか、そういう時期なら未だ百歩譲って理解してやっても良い。だが、今はもう卒業まで1年をきったのだ。卒業するための実技や論文の準備を始めているというのに、こんな悠長な言葉を聞くことになるとは思わなかった。
 私から不穏な空気を感じ取ったのか、こちらをちらりと見たは苦笑いを浮かべた。どうフォローしたものかと考えている顔に見える。先程の言葉をただ撤回するだけで、私の機嫌はたちまち直るのに、それをしようとはしないらしい。
 

「私が描く自分の未来にはしっかり君も隣でユニオンブルーを身に纏っているよ。」
「…勝手に君の妄想に俺を登場させないでくれよ。」
「何を言う!減るわけじゃあるまい…、なあ。」
 

 紙コップを傍らに置いて、私はに向き直る。彼はいつもの通り、MSに関わっていないときのちょっと間の抜けた、優しい雰囲気だったけれど、その言葉に自分の中で嫌な予感がした。それをそのまま口に出すには、あまりにあやふや過ぎて憚られるくらいの微かなものだった。
 

「ユニオンブルーは…あの青に君は良く映えるよ。」
 

 どうにかフォローを、というか、その予感を払拭できる言葉を言いたかったのに、結局口から出てきたのは普段が顔をしかめる「歯の浮くような台詞」でしかなかった。嫌な予感がどういった類のものなのか自分でも分からないから、言い様がないのだ。
 私の台詞に、はやっぱり呆れたような顔をした。向き合っていたのに私の額を軽く小突いてまた前を向いてしまう。自分はもう少し器用だと思っていたのに自惚れだったようだ。碌にフォローも、彼の気を紛らわす言葉も言えないなんて。
 

「そっか」
 

 でも、これ以上墓穴を掘るわけにもいかなくて、紙コップを再び手にに倣う。どこまでも続く青空に、ぽつんと乗って消えたの言葉。それがどういう「そっか」なのか、分からなかったし聞けなかった。
 視界の端で、の顔を見る。彼が真っ直ぐと見ているものが何なのか、私に追いかけることは出来ない。

 

 

 それからまた半年ほど後、MSに搭乗しての模擬戦闘。最後の実技で見たの後ろ姿が、私の見た彼の最後の姿になってしまった。
 MSから降り立って、の姿を探したときには彼は居なくなっていたのだ。一緒にずっと暮らしていた部屋には、もう私の持ち物しか残っていなかった。彼の名残など、どこにも無くなってしまっていた。最初は何が起こったのか分からず、呆然とした。頭の中が真っ白になってしまったのだ。散々実習や講義で戦闘時万が一の時をシミュレートし、次の対応を考えるということをしてきたのに、こんな時には何の役にも立たない。
 どれくらいドアノブに手を掛けたままの持ち物だけが消え失せた部屋の中を見つめていたか、私は漸く我に返った。施錠なんて綺麗さっぱり忘れて、総務課のカウンターに全力疾走して受付の女性に突っ込みそうになりながら、彼のことを息も絶え絶えに問うた。
 

「申し訳ありません、その人物が本校に在籍したという記録は一切残っておりません。」
「…は…!?」
 

 目の前の彼女は、何を馬鹿げたことを言っているのかと思った。つい先程まで、は確かに私の視界におさまっていたのだ。それなのに、
 

「ミスター・エイカー?」
 怪訝な彼女の声も置き去りに、私は一目散に駆け出した。彼女の言葉を頭から追い払うように、一心不乱に走る。到底そんな事実は認められなかったのだ。
 そうして、彼と共に講義を受けた教授や、実技を指導してくれた教官を訪ねてまわった。全員にのことを訊き、全員から「そんな人物は居なかった」と示し合わせたような返答を受けた。
 日が沈み、一人きりの部屋に戻り、ドアを閉めた。しん、と静まりかえった部屋の中、一歩も踏み出さないままに俯いての顔を思い浮かべる。やはり、彼の記憶は自分の中にまだ鮮明にある。しかし、この学校の総意として、という存在は消されてしまったのだ。何十回と同じ答えを聞けば、どれだけ拒否しようといい加減頭の中にすり込まれる。
 

……どうして、」
 

 一気に身体の力が抜けて、しゃがみ込む。ぐしゃぐしゃに歪み始める顔を、両手で覆った。
 退学かどうかも分からない。どこへ行ったのかすら、ここでは知ることもできない。
 

「どうして…!」
 

 私は何も聞いてなかった。メールの一通も、置き手紙の一つもここには残っていない。彼はいつものように朝起きて、笑い合って朝食を食べて、演習場に赴き、そして忽然と消えてしまった。
 

『俺、自分がユニオンブルーに身を包む姿がいつも想像できないんだ。』
 

 いつかの言葉が、リフレインする。あの日のが見つめていた空の続きには何があったんだろう。彼は、それを追いかけて行ったのだろうか。私の言葉を、腕をすり抜けて、どこか遠くへ。
 無理矢理にでも、私の方を向かせるべきだった。肩を掴み、が顔を顰めようと、ちゃんと「こちら」にむき直させるべきだったのだ。私があの時しなければならなかったのは、見れない彼の視線の先を追うことではなくて、振り向かせること。今更こんな後悔をしても何にもならないが、それでも、悔やまずにいられない。
 

『グラハム』
 

 が私を呼ぶ声が頭の中でこだまする。の清々しい笑顔が、まぶたの裏で私に向けられる。それらがいつまでも、私を嘖み続けるのだ。

 

 

 

 

(081229)
こっちが書きたかった方。
セカンドシーズンでブシドーの仮面さえ取れれば(笑)グラハム氏の現在の夢も書けそうなのになあ。
取り敢えずは学生時代の思い出くらいでしか出番はありません。