この想いが胸を焼く

 

 ふっと引き上げられるような感覚に目を開いた。次第に焦点を結んだ視界が映し出すのは、最早見慣れた鳴海探偵事務所にある自分の部屋だ。上半身を起こし、傍らに置かれた帽子をいつも通りに目深にかぶる。
 ふと、変な心持ちになって、側に居る黒猫の姿が見えない事に気付く。倒れる前の記憶を手繰り寄せれば、やはり彼は側に居た。一体どこへ行ってしまったんだろう。身体に違和感が残っていないことを確認して、ライドウは立ち上がり、部屋を出る。
 事務所に続くドアを開ければ、丁度別のドアから鳴海が出てくるところだった。こちらから声をかける前に、目聡く彼はライドウに気付いてにっと笑顔を浮かべた。近付いてきながらも、帽子をかぶり直し、上着を羽織る。つまり、今からどこかへ出かけるのだろう。
 

「よお、ライドウ!目覚めたんだな。」
「すみません」
「いや、いいんだよ。怪我もないみたいだし…しかし、最近お前良く倒れるなよあ。」
 

 鳴海の言葉に、ライドウは微苦笑を浮かべるしかない。確かに、成田茜が持ち込んだ事件に関わり始めてから、自分は良く昏倒してしまう。最初は訳が判らなかったが、今ではしっかりと倒れている間の記憶が残っている。外的な指摘を受けて倒れる訳じゃなくて、恐らくは精神的な干渉を受けて意識を保っていられなくなるんだろう、とふんでいる。
 しかしライドウは、その間の出来事について依然、鳴海はおろか、目付役の黒猫―ゴウトにすら言えていない。見当はついていても、確証がないからうかつに口にできない。それに、今の所倒れるのは自分だけだし、その前後で深刻な事態になっているわけでもない。成田茜や弾の出来事と、明確に繋がりができるまでは軽々しい憶測で他の皆を惑わせたくなかった。
 

「ライドウちゃんも目覚めたなら、俺は心おきなく外出できるよ。そうだ、ゴウトちゃんはちゃんの所にいるから。」
 

 どうせこちらの目が覚めなかったところで外出しただろう鳴海の言葉に苦笑を浮かべたままだったライドウは、しかし彼の最後の言葉に微かに目を瞠った。探していた黒猫の居所を、あっさりと知ることができた。隣にやってきた鳴海の腕を軽く取って引き留める。
 

「…の、ですか?」
「ああ、お前も顔を出してやると良い―

 

今、ちょっと寝込んでるんだ。あの子。」

 

 

 そういえば、覚醒したときに変な心持ちになったのはゴウトが側に居なかったことだけが理由ではなかった。思えば、一番最初に視界に飛び込んできてもおかしくないの姿が部屋になかった。
 ライドウの幼馴染みであるは、自分の影であることが使命だと言う。先代、つまり十三代目葛葉ライドウの時から、その任を負っていると。十三代目が健在だった時とは、つまり自分の幼馴染みとしてあどけなく笑っていたあの頃。そのころから、彼は自分の知らない内にそういう生き方を始めていたと言うことになる。は一度も教えてはくれなかった。自分が十四代目のライドウを襲名するその瞬間まで、彼はただの一番身近で気易い幼馴染みだった。
 

「おう、。目が覚めたか。」
「ゴウト、は…」
 

 の部屋に入ると、彼の枕元に鎮座していた黒猫が尻尾をはためかせながら振り返った。眼を細めるゴウトは、どうやらライドウの意識が戻っていることを喜んでいるらしい。
 黒猫に頷きかけながら、ライドウはの枕元まで移動する。彼は確かに昏々と眠り続けていた。顔色が微かに悪いように思える。
 じっと、ライドウがの寝顔を見つめていると黒猫が膝上に移動してきた。丸くなって欠伸をしながら、こちらを見上げてくる。
 

「倒れたお主が運び込まれてから暫くずっとついていたのだがな…段々と顔が青ざめてくるものだから、我が鳴海の気を引いて気付かせた。」
 

 そうやって経緯を説明してくれたゴウトの頭から背にかけての毛並みをゆっくりと撫でてやった。感謝の気持ちをいくらか込めながら、それを何度か繰り返していると黒猫の顔がうっとりとしてくる。
 

「ありがとう。」
「おそらくは疲労であろうな。精神的なものが大きいとは思うが。」
 

 精神的な疲労の原因は間違いなく自分だ。顔色の冴えない寝顔を見ていると、溜息しか出ない。
 彼は、自分の、ライドウの身を案じることが仕事といっても過言ではない。ライドウの為に日々を過ごし、もしライドウが帝都守護の任の外で何らかの危機に直面した場合は、それを身代わりとなって受けるのだ。話を聞いたときは何と馬鹿げたことか、と心の底から思ったものだ。でも、目の前で切々と訴えるの顔は至極真面目で、馬鹿を言っているわけでないことは直ぐ知れてしまった。
 そう、うかつにここ最近の昏倒のことを口に出せないのは、の事もあった。もし、この昏倒の理由が帝都守護の任とは関係なかったら。成田茜の件で立ち回る間に、何らかの理由でただ被ってしまっただけの厄災だったとしたら。
 きっとは、どんな手を使ってでも、ライドウから自分へとその厄災を移してしまうだろう。昏倒して、人に運ばれて、そして目が覚めるならまだ良い。でも、
 

(覚めなかったら?)
 

 自分が目覚めなかったら、ゴウトやや鳴海達が悲しむだろう。でも、だからといっての目が覚めなかったら、などと、考えただけで背筋が凍る思いだ。そんなのは御免だ。
 が何と言おうと、自分との距離を広げ後ろに下がろうと、ライドウにとって彼はかけがえのない幼馴染みだ。彼が聞けば否定するだろうが、ライドウはのことを大切に想っている。昔から、ずっと。
 

「…そういえば」
「うん?」
の寝顔を見るのは、とても久しぶりだと思って。」
 

 自分がからライドウになった、その日からは従者になった。ライドウが認めずとも、彼は従者としての姿勢を崩さない。気を緩めたり、くつろいだり、眠ったり、そういう姿が見れなくなって久しい。
 確かに顔色は悪いし、己の不甲斐なさの所為なのは否めない。でも、こうやって見下ろしていられるのは、胸の奥がゆるく締め付けられるようだった。ちょっとした懐かしい昔に戻れたようで、多分、嬉しいのだ。
 ライドウも華奢な方だが、輪を掛けて細いを昔は良く面倒を見た。年は同じだけれど、まるで弟でも出来たようで甲斐甲斐しく世話をやいてやった。そうやっているうちに段々と大切になって、目が離せなくなって、葛葉とお役目とそればかりの自分の中に大きな場所を取って居座るようになった。
 

「…ん……、様…?」
 

 蚊の鳴くような声が聞こえてライドウは我に返る。固く閉じられていた双眸が、微かに開いてライドウを捕らえている。眠り以外の表情は、の顔色の悪さを一層引き立てるようだ。寝ていればいい、と手で制したものの、それを振り切っては上半身を起こす。こうなってはもう、ライドウとして命令することでしか彼の行動は縛れないだろう。
 

、すまない。迷惑をかけた。」
「…いいえ、そのようなこと…」
 

 軽く頭を下げると、狼狽えて両手を振る。その手はゆっくりとライドウの目の前に降りてきて、ゴウトの上にのせられた両手に被さった。先程まで寝ていたからか、その手は赤子のように柔らかくて温かい。
 視線を上げれば、弱々しくも微笑むの顔が直ぐ近くにあった。
 

様がご無事でいてくださったらそれだけで、私は何も望みません。」
 

 声は全く張っていなかったが、強い意志を纏った言葉だった。そんなことはないだろう、とか、それでは駄目なのだなど、ライドウには到底言える由もなかった。
 でも、と思う。
 でも、ライドウにとって、同じようにの無事は自分の中で重要なことだ。自分の代わりに厄災を背負うとか、最悪命を差し出してしまうだなんて、とんでもない。本当は、影など直ぐに止めて元のただの幼馴染みに戻って欲しい。
 

「もう少し、横になっているといい。今日はもうどこへも行かないから。」
「そんな、」
の言うとおり。お主はどうも気負いすぎる。」
「…ゴウトまで。」
 

 思ったことをそのまま口に出来たら、どんなに楽か。の為を思っていても、を悲しませたくないし困らせたくないから、ライドウは心の中で渦巻く言葉の百の内の一も言えず仕舞い。自分が彼の役目について否定的なことを言うのは、まるで彼そのものを否定してしまうことになりそうでできないのだ。
 意気地のない自分は、遠回りな言葉でをもう少し休ませてあげることしかできない。いや、それすら、ゴウトの助け船がなければ難しかっただろう。そもそも、ゴウトや鳴海がいなければ、は本当に倒れるまで気を緩めることはできなかった。
 それじゃあ、と恐縮しながらももう一度横になるに頷いて、ライドウはほっと胸をなで下ろす。感謝の気持ちも込めてゴウトを撫でれば、こちらを慰めるようにパタパタと尻尾が揺れた。まるで何もかも見通しているかのようなその動作に、口の端が歪む。

 

 

 

 

(090130)
懲りずにライドウ夢。今度はライ様です。
ベクトルは違えど相思相愛です!だけど微妙に哀しい感じ。(…)
ちなみに私の書くライ様は主人公・ゴウトには比較的砕けた口調で、それ以外には丁寧語でしゃべります。