unlimited and near white 1

 

 何やら向こうが騒がしい。
 怪訝に思った紺は足を止めて騒々しい向こうを眺めた。暫し考え込む。この後に用事はあるが時間が差し迫っているわけではない。少しくらい回り道したって構いはしないだろう。紺は迷わず喧噪へと足を向けた。
 少し歩けば人集りが見えてきた。周りの騒ぎからからして、どうやら喧嘩らしい。紺はぱっと顔を輝かせて、歩みを速める。最近すっかり喧嘩とはご無沙汰だ。小難しいことばかりに直面するから、どうしたってストレスは溜まる。ここは、売られてもないが首を突っ込んで買わせて貰おう。
 

「おう、何の喧嘩だ?」
 

 野次馬達の後方にいる男の肩をつかまえて、紺が聞いた。振り返った男は紺の知った顔では無かったが、相手の方はこちらを知っているらしい。「よぉ、紺じゃねぇか!」とにっと笑って、野次馬の群れの向こうを指さした。紺を見たときと対照的に、その顔は冴えない。
 

「いやな、京屋敷の若さまがよお…」
 

か!?)
 

 京屋敷の若さまとは、ここから少し行ったところに見えてくる広大な京風の屋敷に住む酔狂な若さまのこと。つまり、紺や鴇時の友人であるのことだ。他にも同じ様な京屋敷と若さまがいるなら話は別だが、恐らく彼で間違いないだろう。
 説明を続けてくれる男の気を削がないように心の中だけで驚いて、紺はちらりと野次馬の群れを見た。次々に飛ぶ野次や、遠くに聞こえる殴るような音と小さな悲鳴。と喧嘩相手、果たしてどちらが優勢なのだろう。ふと、心配になる。
 

「最初は因縁つけられたのか何か知らねぇけどよ?大男ら相手に喧嘩始めちまってさぁ。」
「大男ら、って…複数対ひとりなのかよ!?」
「そうなんだよ。ほら、あの若さまは見た目は綺麗なモンだけどどうにも近寄り難ぇだろ。まさか喧嘩すると思わなかったから、皆も好奇心の方が勝っちまって、加勢しなくてよ。」
 

 何とも他人事な話し方である。聞いている内にどこかムカムカした気持ちが生まれてきて、紺は思い切り顔をしかめた。は他人と一線を画した雰囲気を醸し出しているから、彼のことを知っている人が多くても実際に言葉を交わす人が少ないのは知っていた。紺だって、「同じ世界」から来たと知らなければ話すことはなかったかも知れない。
 しかし、もう、は紺にとって大切な友人だ。近寄り難いどころかはまだまだ子供っぽいし、喧嘩だって男でこちらの生活が長くなってくれば自然と買うだろう。非常に平和主義、とか、腕っ節に自信が無いという質ではない。
 一対多数で喧嘩をさせておくくらいなら、いつものように誰か飛び込んで対等に喧嘩をするべきだ。苛々が募りながらも、紺はどうにか平静を装って男を見下ろした。
 

「アンタはどうなんだよ?」
「へっ!?…いやぁ、無茶言うんじゃねぇよ、紺。俺に喧嘩なんて無理に決まってんだろ。」
 

 男は心の底からそう思っているようだった。喧嘩自体は無理じゃなくても、に加勢することは絶対無理なのだろう。唾でも吐き捨てたい気持ちになって、紺はそっぽを向く。狼狽えたような男の気配が、隣に留まっている。
 野次と、悲鳴と、取っ組み合いをしているような音はまだ途絶えない。次第に紺は、ここにいることが無意味に思えてきた。こんな、に対して他人行儀な人間の隣に居ることに、なんの意味があるのだ。こんなことをしているくらいなら、早く、
 

(あいつを、助けねぇと…!)
 

 おい、とか、紺、とか男が自分を呼び止めようとしたかも知れない。けれど、それを確かめる前に、紺は足を踏み出した。野次馬達をどんどん掻き分けて、騒動の中心へ、つまりと大男達の喧嘩をしている所へと進む。ちょうど、達と自分を隔てる野次馬の最後のひとりを掻き分けたとき、目の前に大きな物体が転がり込んできた。踏み出そうとした足を慌ててあげて避けてみれば、それはのびきった大男だった。いかにも乱暴そうだ。
 男ののびた顔を確認して目を瞠った紺が、顔を上げればひらりと総柄の着物の裾が翻っていた。鮮やかなそれに目を奪われれば、翻った着物と好き勝手散らばる髪の毛の合間から見えるの顔に、また息を呑む。
 普段とは違う、鋭い表情のは向かってくる次の大戸湖に向かって拳を突き出していた。今にも折れそうな華奢な腕と拳は、相手の無骨なそれが落ちてくる前に顔面を捉える。その瞬間に、きゃあ、と黄色い歓声にも似た悲鳴が上がった。さっきから聞こえてきていた悲鳴の半分は、こうやって遠巻きにを見ている女達があげていたものらしいと知る。
 拳から離れた頭ごと、殴られた大男は仰向けに倒れる。眼を細めてそれを見届けたは二、三度使った拳を振って、漸く紺に気がついた。テレビの画面を切り替えるように、物語が頁を捲ったそばから場面が変わるように、ぱっと人懐こい表情になったがこちらに向かってくる。ぼさぼさになった髪の毛を整えながら、息を整える。
 と、その後ろに、緩慢な動作で起き上がる影が見えた。どうやら紺が喧嘩を直に見始めるより先に、に倒された大男の仲間だろう。ようやっとといった感じで起き上がった男は、無言でこちらに向かってくるの後頭部目掛けて腕を振り上げる。
 

っ!うしろだ!!」
「―え、」
 

 考えるより先に身体が動いていた。足下に倒れていた男は容赦なく踏みつけて、咄嗟に前に出るとの腕を力任せに掴んで引き寄せる。簡単に倒れこんできた身体を後ろに庇うように前に出ながら、回し蹴りを放った。相手の帯の上、脇腹の辺りにきれいに決まっれば、男の顔が更なる苦悶に歪む。
 膝を突いて身を屈めた男を一瞥してから足を下ろせば、じんじんと脛の辺りが痛んだ。驚いた顔のが自分を見上げていて、周りでは一際甲高い声が上がっている。
 

「…とりあえず、場所変えるか。」
「あ、うん。」
「来い」
 

 酷くなってくる野次馬たちの声に辟易して、紺は口早にに告げると、掴んだ腕をそのまま引っ張る形で歩き出した。

 

 

 

 

(090402)
長くなりそうなので、2個に分けます。
喧嘩できなさそうなのに、できる、っていうのにもえる(ええ)