unlimited and near white 2

 

 町離れの河原まで来れば、辺りはすっかり静かだった。髪は乱れ、所々泥に汚れたと、その手をひっつかんで黙々と歩く紺の組み合わせは、その静かな中では随分浮いていた。時々すれ違う人々が、ぎょっとした顔で自分達を振り返ることも少なくなかった。
 

「何でいきなり喧嘩なんてしてたんだよお前は…しかもあんな多勢に無勢で。」
「いやぁ、訳分からない言いがかりをつけられてね。」
 

 河原に腰を下ろしてやっと、紺は掴んでいたの手首を離す。無意識かその手首をさするに問いただせば、気の抜けた調子で笑う。
 言いがかりはやがて、自身のことだけでは飽きたらず、彼の両親にまで及んだらしい。両親といってももちろん、こちらの世界に来てからの両親だが、が彼らのことを大切にしていることは紺も知っている。自分のことなら我慢できても、両親のこととなると我慢できないということらしい。とてもらしいと紺は思ったが、それを素直に口には出さなかった。
 

「殴ってるの見てたら、お前の腕の方が折れそうだったぜ。」
 

 素直に言ってやれば、反省するどころか誇らしげに胸を張るだろう。はそういうところがひどく幼かったりするところがある。だから、しかめつらで口の端を歪めながら言ってやった。は眉尻を下げて、
 

「そんなこと言うなよ…あーあ、ほんと、殴ったり蹴ったりの喧嘩なんてこっち来なかったらしてなかったかもね。」
 

と、河原に足を投げ出して、盛大に息を吐き出した。動いた拍子にふわふわと揺れた着物と髪の毛を目の端で追いながら、紺は鼻を鳴らして前を向く。
 そうして、ふと、の言う「こっち」に引っかかりを覚えた。は遠慮深いのか根が暗いのか(本人に言ったら怒られるだろうが)、よく考え込んだり、要らないことにまで気を遣おうとする。その割りに、先の「こっち」という言葉の響きは軽かった。
 もう一度、を見つめる。視線に気付いたように、が軽く顔を上げて紺を見た。その顔に、問いかける。
 

「元の世界に未練は無いのか?」
 

 紺の真っ直ぐな視線に、は苦笑を漏らした。膝を立て、それを抱えて俯く。さらりさらりと、遊ばせている髪の毛が紺からその横顔を隠していった。視線から逃れるような動作に、顔を覗き込みたくなったが、あまりに不自然だろうと思い止まる。
 やがて、どんな顔をしているのかは分からないが、は紺の問いに答えた。
 

「未練なんて無いよ。だって、何が未練なのかも分からない。」
 

 膝を抱えたままで、両腕をさする。喧嘩で当たったか引っ張ったか、それとも殴ったのか、違和感でもあるのだろうか。寒くも暑くもない丁度良い季候なのに、その姿はまるで寒さに必死に耐えようとしているようだ。
 

「もうさ、友達の名前だって覚えてない。あっちの小学校で習ったまま役に立ってるのなんて簡単な算数と国語だけ。後は全部、こっちで身につけた知識だもの。」
 

 自分と同じくらいの背格好のが「小学校」という言葉を持ち出すと、とてもアンバランスだ。でも、あちらの世界で高校生まで暮らしていた紺と違って、は小学校の低学年程度までしかあちらで暮らしていない。あちらとこちら、ちょうど半分ずつくらい過ごしているのだろうか。
 の考え方は、紺や鴇時よりもこちらに馴染んでいるようで、それでもやはり染まり切れてはいないと思う。子供がそのまま大きくなってしまったような、そんな印象を与えるのも育ってきた環境が多感な年頃の間にがらりと変わりすぎてしまったせいなのかも知れない。
 そんな風に考えていると、がぽつりと呟く。
 

「あぁ、でもさ、時々夢を見るんだよ。」
「…夢?」
「変なんだよ。可笑しいんだ、その夢ったら。」
 

 自嘲的な響きの混じった声に紺の顔が微かに歪む。その表情の変化を知って知らずか、は続ける。
 

「こんなにここでの生活が長いのに、場所がね、前の家なんだよ。元の……でも、それなのに僕はこの僕なんだ。着物を着崩して、髪の毛を背中に垂らして。僕は板張りの床の上で、椅子に座ってテーブルに肘を突いてね、ママの作るカレーライスを待ってるの。そうしたら、パパが帰ってきた。「ただいま」って声に、僕は立ち上がって「お帰りなさい!」って廊下を走るんだよ。…そうして、夢から覚める。カレーライスの味も、パパとママの顔も分からないまま。」
 

 鴇時よりは長くこちらにいる紺だって、まだ朧気ながら昔慣れ親しんでいた食べ物の味は思い出せた。知り合いの顔だって、覚えてる。それに比べて、隣に座るはどうだ。挑むように横顔を見詰めながら、紺は声に出さずに思う。
 なんて不安定な存在なんだろう。
 彼方側の人間だと言うには有耶無耶になってしまったものが多すぎる。此方側の人間だと言うには、ルーツが違いすぎる。
 不安定で心細くてもそれを共有できる人すら得られないまま、はずっとこうやって過ごしてきたのだ。紺たちと出会わなければ、今頃もきっと。融け込めなくても日々は忙しく背中をせっついてきて、否応なしに巻き込んでいく。手探りで必要なものを全部身につけなければいけなかったから、後ろを振り返ったり懐かしんでる場合じゃなかったに違いない。
 

「そういう夢を見たときは大抵目が痛くってね…父上と母上の顔が、まともに見れない。」
 

 未練なんて分からないけれど、後ろめたさは確かにあるんだ。やっかいだね。
 紺の中で膨らんでいく葛藤など知らないまま、はそう呟いて話を締めくくった。最後に小さく吐かれた溜息は、笑っているようでもあった。そんな風に喋るなといっそ紺は怒ってやりたかったけれど、どうやって言葉をかければいいのかわからない。無駄な知識ばかりは沢山あるくせに、こういう切実な場合の対処法は何一つ思い浮かばない。鴇時だったら上手な言い様を思いついて、に柔らかな笑顔くらい浮かべさせることが出来るだろうに。
 少し情けなくて、自分に苛ついて、紺は髪の毛を些か乱暴にかき混ぜた。口を開閉させてみるけれど、やはり気の利いた言葉はひとつも飛び出してこなかった。今がこちらを見ていたなら、普段とは随分違う紺の様子に驚くかも知れない。見られたくない姿ではあったけれど、この言い様のない雰囲気を払拭させられるなら、敢えて見られてもいいとさえ思ってしまう。けれど相変わらず、は俯いてしまったままだった。
 

「…つらいことばっかり話させたな。」
 

 溜息が出そうになるのをどうにか堪えて、やっと一言喋ることが出来た。やっぱり気が利かない。
 

「その…俺は、」
「ねえ、紺、ありがとうね。加勢してくれて。」
、」
「ありがとうね。」
 

 漸く顔を上げて微笑んだはそれはそれは紺の目に頼りなくうつった。それでも、紺の言葉を遮るように発せられた声にはもう先程までの揺らぎはない。いつも話すような雰囲気で、喧嘩に加勢して貰ったのを少し恥ずかしがるような、いつも通りのだった。それが尚更紺をたまらない気持ちにさせる。でも、そのたまらない気持ちを説明できるような上手い言葉が見つからなかった。言及できる自信もなくて、情けない話、場の雰囲気ががらりと変わったことに安心感さえ覚えている。
 歯がゆい気持ちのままに紺はに手を伸ばして、力任せに抱きしめた。少年のような青年のような、中途半端でどっちつかずな身体に目の奥がつんと熱くなった。

 

 

 

 

(090402)
日付を見たら2年ほど前だったんですけど(笑)
部分部分で半分くらい書いてあったので書き上げてみました。
主人公の不安定さというか、軸が無い感じを書いていければなー、とか。