グッド、バイ

 

 ソレスタルビーイングにいることは数年前から知っていたけど、その姿をこの目で見ることは叶わなかった。エネルギーの補給を受けるため、初めて彼らの城へと足を踏み入れ、そしてグラハムは彼を見た。
 ぴんとした後ろ姿。
 士官学校時代で実技の時に見送った後ろ姿と、それがきれいに重なった。いや、あの頃よりも、少し頼りなく見えるかも知れない。
 声をかけようと口を開いて、グラハムは彼を呼ぶ声がなかなか出てこないことを自覚した。これでは、やっと声が出たとしても彼には聞こえない。距離を詰めようと一歩を踏み出し、身体が微かに震えていることに気付く。
 模擬戦闘のためMSへと歩く後ろ姿を見送って、彼が姿を消してしまってから、何年経った。グラハムの中の彼は、まだ学生だった彼なのだ。


「…。」
 

 手を伸ばせば触れるくらいまで近付いて、を呼ぶ。彼はあっさりと振り返った。
 だった。一気に会えなかった年数を詰めるように、彼の姿がグラハムの中でしっくりと馴染む。
 彼はグラハムを見てにっこりと笑った。学生時代の時のように、たおやかに、笑みを浮かべた。
 

「グラハム。…久しぶりだ。」
「ああ」
「…こんな時じゃなければ、ゆっくりと話ができたのにね。」
「それでも、…こんな時じゃなければ、私は君と会うことはできなかった。」
 

 隣に並び続けると信じて疑わなかったとの道が別たれて十数年。ユニオンとソレスタルビーイング、相容れない存在となった彼とグラハムが銃を構えずに会うことは今までであれば容易くはなかっただろう。皮肉にも、新たな外部からの脅威があってこそ初めて、ソレスタルビーイングと共闘することができたのだ。
 

「刹那に会いに来たんだよね…ねえ、もし、もう少し時間があれば、」
 

 ふと、の手がグラハムの腕に触れた。一瞬で体温が上がってしまうような気持ちになって、グラハムはこっそりと自分に呆れた。学生の時分ではないというのに、なんと初々しい気持ちか。
 そして、学生の頃よりも下にあるの顔に暫し見入る。確かにお互い年は取ったが、でも、は相変わらず魅力的だった。
 グラハムの視線に気付いたように、顔を上げたがはにかむ。いつかのような表情に、胸が詰まった。ここがどこで、今何が起こっているのか、どうでも良くなってしまいそうになる。
 

「ちょっと周りの目が痛くってさ…俺の部屋に来ない?」

 

 

 学生時代の頃のように連れ立って、の部屋に入る。言われてみれば、グラハムの部下や、の仲間たちの視線が突き刺さっていたような気もする。ほんの数年前まで敵同士だった2人がいきなり「久しぶり」なんて話し出しては、確かに周りは驚くだろう。
 部屋の扉が閉まると同時に、グラハムはを引き寄せて抱きしめた。間抜けな悲鳴を上げたが、腕の中で身動きをするがそれすら封じ込めるように力を込める。
 人前で感極まって行動に移さなかっただけ良しとして欲しい。グラハムはの髪の毛に顔を埋めて思う。
 

「グラ、ハム…!ちょっ、くるし…!!」
「ん?あ、ああ、すまない。」
 

 どんどんと胸を叩かれて、拘束の手を緩める。完全に手放したくはなくて、身動きができる程度、顔が覗ける程度に力を抜いただけだ。
 どうせ、また直ぐに、と離れなければならないのだ。離れたくなくても離れなければならないのなら、前のように後悔ばかりするのは嫌だ。せめて、何十分の一かでも満足してから離れたい。
 

「もっと早くこうしておけば良かった。私はいつも、理解するのが遅い。」
「こ、こうって、」
「おや、赤くなったな。」
 

 腕の中では表情の変化もつぶさに見えてしまう。まあ、こんなに耳まで赤くなっていては、遠目でも分かるかも知れないが。グラハムは小さく笑っての目尻を親指でなぞった。
 

「君って人はどうしてこう、昔から心臓に悪いんだ…」
「はは、君って人は昔からうぶだな。恥じらう顔が乙女のようだよ、いい年だろうに。」
「いい年って、グラハムだって同じ年じゃないか!」
「そうだったかい?…なあ、。」
 

 これまでよりも少し真面目なトーンの声に、がグラハムを見上げた。真っ直ぐと見上げてくる視線に眼を細め、グラハムはの髪の毛を梳く。
 これから口にしようとしている言葉は、自己満足でしかなくて、挙げ句の果てには折角再開できた彼に深い傷を残してしまうかも知れない。でも、口に出さずにはいられないのだ。
 

「この戦いが終わったら…」
「…」
「終わったら、君を迎えに来る。」
 

 もう一度ぎゅっと抱きしめて、の顔を肩口に押しつける。答える彼の顔を見ることができないけど、それでいいと思った。
 

「そしたら、私の手を取ってくれるかい?」
 

 いつかダンスができないのだと真っ赤になりながら白状した彼の手を、「教えてあげよう」と握ったことがあった。あの時は、は照れて少し怒っていたから、それ以上グラハムは自分の気持ちに歯止めをかけた。ぐっと我慢したら、我慢しなくてもいいかと思った頃にはは消えてしまった。
 今ならば、受け入れてくれるだろう。かなりの確信はあったけれど、また今回も我慢する。今度は、の為じゃなく、グラハム自身のためだ。
 今そのたがを外してしまえば、戦えなくなる気がした。もうきっと、片時だって手放せなくなる。そうしたら、この未だ光の見えない戦場へ身を投げ出せなくなる。
 

「―待ってるよ。」
 

 背に回る暖かさに、きつく閉じていた目を開ける。手前にぼやけて見えるの髪の毛の向こうに、窓から果てしない宇宙が見えた。これまで見たどの宇宙より、美しく見える。
 

「今度は俺が、グラハムを待ってる。…ずっと、待ってるから。」
 

 優しい声に、涙が出そうになった。ようやく、やっと、会いたいと一心に思い続けてきた人に会えたのに、その時間はあまりにも短い。自分が抱きしめたいと思うままに抱きしめて、言いたいと思うままに言葉を紡いで、それで終わり。を思い遣ることも、グラハム自身の望みをゆっくりと満たすことさえままならない。
 自分たちの道が別れてしまったあの日を、何度悔やんだだろう。何度夢に見ただろう。グラハムは何度でも同じ事を考えた。あの日、自分がもっと敏く気付けていたら。予兆なら、後から考えれば幾つもあった。
 しかし、それすら全て過ぎ去ったこと。こうやってを抱きしめて、言いたい言葉を告げることができた。そして、もうこの手を離さなければならない。現実は、これだけだ。
 

「少年に会ってこよう。…さよなら、。」
 

 別れなど言わない、など、陳腐な気持ちは捨てる。あの日「さよなら」を言えなかったことを、引き留められなかったことよりも悔やんだ。ゆっくりと腕を解き、すっと消えていく温もりを惜しいと思いながらも、グラハムは一度笑って踵を返した。
 

「さよなら、グラハム。」
 

 一瞬で焼き付いたのは、の穏やかな顔だ。これを胸に愛機に戻れるのなら上々だろう。今まで戦場で思い返したのは、家族であったり、親友であったり、或いは上官や部下だった。そこにこれからのこの顔が加わるのなら、いくらでも士気は高まる。心だって、これまで以上に安らぐに違いない。
 もう、振り返ってはいけない。グラハムはまさに後ろ髪を引かれる思いで一歩一歩扉へ向かう。振り返ったら、また抱きしめてしまう。今度こそ離せなくなるかも知れない、泣いてしまうかも知れない。
 パネルに触れ、扉を開く。それを跨ぐ瞬間、グラハムは心の中だけで言った。
 

(行ってくるよ。)
 

 後ろに、扉が閉まった音を聞く。少しだけ俯いて、の最後の顔を反芻して、暫く心の中に閉じこめる。そうして顔を上げて、グラハムは一歩を踏み出した。

 

 

 

 

(110110)
グラハム3作目。映画見たときからこれを書きたかった。
…けど、これ、映画のバレを知ってればこそ酷い話ですよねええ(笑)
まあ、別にひょっこり戻ってくれば良いと思ってますけど、私!