寫眞

 

 大学から帰ってきたら母さんがやたらにこにこしていた。訝しく、というよりも嫌な予感と一緒に家に上がる。いつもなら直ぐにまとわりついてくる青嵐たちがその声すら聞こえない。
 嫌な予感が段々大きくなるような感覚と一緒に、一番大きな和室を覗く。
 

「…何してるの」
「あ、律くんおかえりなさい!」
 

 青嵐たちが畳の上に大の字になって寝転がっている中、部屋の中心で一生懸命何やら覗き込んでいたのはだった。
 は妖怪じゃなくて、所謂神様に近い存在だ。そんな存在が、和室のど真ん中で正座を崩しながらで迎えてくれるなんてまず思わない 。いつもよりも少し大きくてはきはきとした声だったから、きっと今は機嫌が良いんだろう。取り敢えず鞄を部屋の入り口においてに近付いた。
 

「何してるの」
 

 さっきと同じ質問を繰り返す。
 は時々遊びに来るけれど、大抵は僕の居る時間にしか来ないからなし崩し的に僕がやっていることを一緒にするか、興味深そうに覗き込むだけだ。こうやって、自分から何かをしているにはなかなか会えない気がした。
 

「あのね、おばさんにアルバムを借りたの。」
 

 が開いているのはアルバムだった。思わず両手をついて覗き込むと、慌てたような声が上がる。
 

「あ、律くんのじゃないよ!やっぱりこういうのって、見られたくない写真もあると思うし…」
 

 そのフォローに僕は少なからずほっとした。特に幼い時の写真なんて自分の意思とは関係無しに撮られているから否応なしにもう二度と開きたくない写真が残ることもある。それを、に勝手に見られてしまうのは嫌だった。
 嫌悪感とかとは違う、もっと、そう、意地のようなものだ。
 しかし、と僕は思う。僕の写真じゃないのなら一体誰の写真をこんなに楽しそうに見ているのだろう。
 

「誰の写真?……随分と古いみたいだけど。」
 

 まじまじと覗き込めば、写真は時々色褪せてしまっているようなのもあった。僕を撮った写真よりも年代が古いことが一目で比べなくても見て取れる。
 笑顔のは僕の横顔を眺め、そうして開いたアルバムの一箇所を指さした。小学生くらいの男の子が映っている。ちょっと神経質そうで、実年齢よりも大人びて見える。大学生の自分から見れば、それはただ背伸びしているだけだと分かるけれど、真っ直ぐとこちらを見る写真の彼は背伸びだとしても実際に目の前にはいて欲しくないなと感じた。きっと子供特有の高い声であっという間に言葉攻めにあいそうだったから。
 頭の片隅に嫌な予感が閃く。合っていて欲しくないと思うが、この子が大人になった姿に心当たりがあった。
 

「この子、もしかして―」
「あ、やっぱり律くんは分かる?」
 

 僕の呟きに、の弾んだ声が被さった。その反応で自分の考えは外れていなかったのだと計らずも分かってしまい、僕は微かに落胆した。
 違う、別に、嫌ではないんだけど。
 

「開さんだよ。」
 

 この子供にしてはやけに冷徹そうな顔、もしかしなくても開おじさんだった。それにしても、が彼と知り合いだったとは驚きだ。少なくとも僕は引き合わせた覚えはない。あまり、引き合わせたくなかったので。
 

「知り合いだったんだ、とおじさん。」
 

 つとめて気にして無さそうな、さりげない一言を装った。は小さなおじさんの写真を眺めて眼を細めて、次の頁を捲った。
 

「うん、前にね律くんが会いに来たけど居なくて、それでちょっと外を探検してたら。」
 

 ああ、何だかんだ言ってその原因を自分が作ってしまっていたとは。その時丁度居なかった自分を悔いるが、如何せんいつのことなのかが分からない。おじさんが戻ってきてからなのだとは察しが付くけれど、の「前」というのは果てしなく広義だ。
 何せ時の流れが普通の人の比じゃない。ならば1週間前も「前」と言うし20年前だって「前」と言ってのけてしまうだろう。
 

「それからね、何回か会ってるの。律くんとはまた違う興味深いひとだね。」
 

 優しいの言葉は、目上の人に言っているようでまるで孫でも見守っているような雰囲気を持つ。その優しさが、自分ではなくて開おじさんに向けられているのだと分かっているから何となくもやもやとした。
 この、少し引っ込み思案な神様に近い彼が懐くのは自分だけだと変な自負があったから。僕だけじゃない、と知ってしまった。しかも、その相手があまり得意としない叔父だ。
 何とは分からない圧倒的な不利を感じた。
 

「…それで、何で写真なの?」
 

 この声がいつも通りに響いていると良いと思う。彼は聡いから、もしかしなくても普通じゃないと分かってしまっているかも知れないけれど、それが何故なのかは知らないでいて欲しい。
 

「『開さんがぼくよりも小さくて子供してるところなんて想像できないですね。』」
「え?」
「そうやってね、言ったら開さん鼻で笑って言うんだ。」
 

 こう見えても君の何分の一も生きていないのだけれどね。
 その時のおじさんの口調や声が聞いてもいないのに頭の中できれいに再生された。言葉に込められた皮肉や冷たさも、が相手だったから一欠片も通じなかった。話を聞いているに、どうやらおじさんをもってしてものマイペースを崩すことはできないようだ。
 それが、少しだけ僕をほっとさせた。
 

「最後に開さんがぼくに『それなら写真を見せて貰うと良い』って言ってくれたから、今日はおばさんにお願いしてアルバムを出して貰ったんだよ。」
 

 愛おしそうにがアルバムの頁を撫でる。優しそうな手の動きに、羨ましい、と思う。
 

「本当に小さいねえ…この頃だったら、きっとぼくの方が開さんよりも大きいね。」
 

 が、おじさんのことを知っていく。他ならぬ彼が、に知ることを許した。特別なことなんだって、直ぐに判った。
 神様に近い存在だからなのか、だからなのかまでは未だ分からない。けど、もしかしたら後者なんじゃないか、と察しがついた。
 開おじさんは、大人だと思う。中身は本当に僕とそんなに変わらないのに。
 僕が適当に毎日を過ごしての気紛れな訪問の度にちょっとずつ大きくなる気持ちを持て余す間に、僕の目を盗んで入り込んできている。持て余しているままでいいと思ってた。どうせは普通の尺度で物事をはからないから、このままで大丈夫、って。おじさんは絶対僕が思っていることも全部お見通しで、それでいて僕以上にに近付いてる。
 物事の尺度が普通じゃないは僕の、おじさんの思惑にはひとつも首を傾ぐことなく全てあるがまま受け入れる。このままじゃいけない、と漠然と知った。
 このままじゃいけない。持て余しながらゆらゆらと大きく育ってきた気持ちが全部、無駄になってしまう。
 


 

 乾いた口をしめらせるように固唾を飲み込んでから、名を呼んだ。は素直にアルバムから僕に視線を移す。僕を見つめる目は真っ直ぐで真っ白だ。彼には何の裏表もない。おっとりした人見知りの激しい普通の子に見えるは、それでもやっぱり普通じゃない。
 

「…僕の写真も、見てみる?」
「! ほんとう?いいの?」
 

 踏み出せ、踏み出せ、と自分の中で言い聞かせながら顔を輝かせるに頷き返した。まだ大丈夫、まだ並んでもない。僕の方が側に居る。彼と出会って仲良くなって、一緒に居た時間はまだ覆せない。
 

「開さんの見ていたら律くんのも見たいなって思ったんだ。でも、やっぱりこういうのって勝手に見ちゃいけないでしょう?」
だったら、いいよ。」
「…ありがとう!」
 

 にっこり笑う。昔から僕が、決して愛想が良い、気が利いているとは言えない提案をひとつずつしてきた時と同じく。

 

 

 

 

(060826)
前のサイトの企画でお受けしていたリクエストのひとつです。
リクエストを消化する前にサイトを閉鎖してしまったので(汗)
「夏色の思い出」と同設定、自覚と伏兵出現。