うつろわざるもの

 

 人は変わりゆくものだ。変わってゆくべきだ。
 鳴海はそう思っている。
 現に久しぶりに会ったライドウは前に会った時よりも少し変わっているように見えたし、自分だって、あれから少し変わっただろうと思う。人は時と共に、経験と共に変わってゆくものなのだ。
 

「お久しぶりです、鳴海さん。」
「…あ、ああ。久しぶりだね。ちゃん。」
 

 しかしながら、その鳴海の持論とは裏腹に、久しぶりに顔を合わせたは何も変わっていなかった。なぜか鳴海の方が狼狽えてしまうくらい、変わっていなかった。
 以前と身長も、声も、身に纏う雰囲気も、何も変わっていない。まるで、以前に戻ってしまったかのよう。
 

「また、ライドウ様とゴウト共々お世話になります。」
 

 深々と、は頭を下げる。初めて出会った時と同じだった。知らない間柄でもないのに、鳴海も反射的に腰を折り曲げてしまった。いつもの大人の余裕はどうしたんだ、と自分で自分を叱咤する。そうしながら顔を上げれば、ふんわりと微笑むと目が合った。
 彼は、はライドウの従者、であるらしい。もっとも、幼馴染みだというのことをライドウは従者というよりも気易い友人のように扱っている。それでも、は頑なにライドウに対して一歩下がった態度をとり続けるのだ。彼は、ライドウの従者であり<影>なのだそうだ。
 前の事件の時にその話を聞いてから、鳴海はずっと理解できないでいた。理解どころか、少々の無理をして飲み込むことすら出来なかった。彼らと過ごした短い間では遂に不可能で、今日再び出会うまで折に触れては思い出して考えていた。でも、やはり理解できなかった。
 

「おそ、かったね。ライドウちゃんも暫く待ってたんだけど依頼が入ってたから。」
「それは、申し訳ないことをいたしました。少々荷物の手配に手間取りまして。」
 

 眉を寄せて心の底から申し訳なさそうな顔をしたは、身軽な恰好だ。マントこそ身につけていないものの、同じ弓月の君高等師範学校の制服。片手に持てるほどの旅行鞄を持っている。荷物の手配に手間取ったようにはとても見えない。
 訝しげな鳴海の表情を読み取って、は微苦笑を浮かべた。
 

「明日には幾つか箱が届くと思うのですが、責任を持って私が受け取りますので。」
「あ、うん。その辺は、構わないよ。ちゃんがそういうなら。」
 

 答えながら、鳴海は未だ探偵事務所の入り口で立ち話をしていることに気がついた。慌ててを中へ導くと、椅子に座らせる。珈琲でも淹れるよ、と備え付けの台所にひとりで入った。カップの準備をしながら、少し後ろを振り返る。そうすると背筋を真っ直ぐ伸ばし、前を向く後ろ姿が見える。何も変わらないの後ろ姿。
 先も思ったが、身長もほぼ伸びていないようだ。ここから見える景色が、以前彼と一緒に過ごしていた時と変わっていない。
 自分はもうとうに成長期など済んでしまった身だから身長は伸びもしないが、はどうだ。まだ、十代の書生だ。ライドウに比べても華奢な体つきが目立つし、頭一つ分とまではいかないが目線も彼に比べて低いところにある。久しぶりに会ったのだから「ああ大きくなったのだな」と、思っても不思議ではなかったのに。
 珈琲を淹れて戻ると、は軽く会釈した。カップを手渡せば、ありがとうございます、と几帳面な礼が返ってくる。
 

ちゃんは、」
「? はい、何でしょうか。」
「…ちゃんは、変わらないんだね。」
 

 自分の中でむくむくと頭を擡げる疑問は、遂に口から飛び出してしまった。何と藪から棒な物言いかと自分でも思いはしたが、口から出てしまったものは仕方ない。食べ物のような固形物なら兎に角、形のない言葉では掴んで戻すことも出来ない。
 

(まあ、食べ物でも汚いけどなあ。ちゃんは表情変えないでくれそうだけど、ものすごい呆れそうだ。)
 

 自分で自分の思った言葉に呆れていると、一口珈琲を飲んだが鳴海を見つめた。言葉を選ぶように暫く沈黙し、目を伏せるとカップを机に戻す。そして、またこちらを見つめてきた。
 真っ直ぐな視線。その双眸をいくら覗き込んだところで、の感情など微塵も拾い上げることはかなわない。
 

「私は、ライドウ様の影ですから。あの方が、帝都守護とは関係ないところで危機に直面すれば、代わりにその厄災をかぶるのが私の役目。」
 

 それが、例え命を落とすような危機であっても。
 は至極当然のように言う。静かに、口籠もることなくすらすらとうたうように答える。
 

「その役目しか負わぬ私が変わることに、何の意味がありましょう。」
 

 変わる必要は無いのだと、は言うのだ。
 人は、変わりゆくものなのだと鳴海は思っている。変わらない人などいないと、思っているのだ。自分も、ライドウも、ゴウトも、タヱも、誰も彼も、人が人と交わり時を過ごすことで変わっていく。もそうであって然るべきだと、漠然と決めつけていた。
 いつからか思っていた。はいつまで影で居続けるのだろうと。ライドウの人生を、そっとなぞるような生き方を疑問に思う日が来ないのだろうか、と。自分達と関わることで、少しでも変わりはしないのか。
 

「後悔しないの?」
「はい。」
「どうして?」
「それが、私にとって…僕にとってのしあわせだからです。」
 

 はそう言って、たおやかに笑みを浮かべた。鳴海は、その笑顔に思わず胸を突かれる。
 

「僕はあの人が大切だから。守る人と大切な人が同じなんて、とてもしあわせでしょう?」
 

 彼は変わらない。鳴海が思っているようには、変わらない。突かれた胸に知らず手を置いて、鳴海はにどんな顔を向けたらいいのか分からなかった。
 いつになく饒舌に答えをくれた彼に、本来ならば礼を言わねばならないのに、気の利いた言葉のひとつも出てこない。そっか、とか、うん、とか生返事をしてから、カップを取り上げて珈琲を飲み込んだ。
 人は必ず何かしら変化するのだ、なんて、持論に過ぎないのは重々承知だ。こうやって、その持論が強い意志でもって覆されることはあるだろう。鳴海ももう十分人生の酸いも甘いも味わってきたのだから、子供染みた反論や頭ごなしの否定はしない。
 でも、
 

(―…そうか、俺は。)
 

 すっと、不意に視界が開けたような気がした。同時に、背後で扉が開く音がして、がふわりと立ち上がる。
 鳴海の頭上で、今日一番の彼の笑顔が咲く。
 

(俺は、この子に変わって欲しいんだ。)
 

「おかえりなさい、―様。」
 

 ライドウ、ではない、彼の本当の名を呼ぶの先程の言葉は、全てが本当なのだろう。彼にとって大切な幼馴染みを、役目でもまた大切に守ることができる。それはきっと、今の彼にとって揺るぐことのない柱になっている。どんなに時を経て誰と交わろうと、その柱がある限り、は変わらないのだ。
 だからこそ、鳴海は変わって欲しいと願っていた。以前の短い時間では、変えるにいたらなかったことに気付いて、落胆していたのだ。
 そこまで考えが至り、鳴海は漸く立ち上がった。と共に、ライドウを出迎える。彼の足許ではいつもの通り、黒猫がぴんと尻尾を立ててじゃれついている。その目が、ふと自分を見つめたような気がした。
 

「さあ、ライドウちゃんも帰ってきたことだし、改めて珈琲でも飲み直そうか。ちゃんのも、冷めちゃっただろ?」
「ありがとうございます。」
 

 本当に気のせいだったのか、ゴウトはもう既にの腕の中で丸くなっている。黒猫か、それともか、じっと視線を向けているライドウにも笑いかけて、鳴海は机に向かった。

 

 

 

 

(081127)
なんかちょっと訳分かんない感じですか?(聞くなよ)
ちなみに主人公もサマナーです。
鳴海さんは構いたがりで無自覚片思い。