還る処
を出迎えた時の化野の恰好といったら、そりゃ酷かった。 「どうした」
白くて細い指が、そうっと化野の肩の埃を払う。化野はそこで初めて自分にまとわりついている埃に気付いたらしい。出口にが居るにもかかわらずその場で着物に付いていた埃をばしばしとはたきだした。これには流石のも目をきゅっと細める。袖で口元を覆い、風の通り道を開けるように身体を出口の片方に寄せた。 「わたしを埃まみれにする気かい、化野。」
化野について家の中に入れば、そこは彼以上の惨状であった。やギンコが家の中でごろごろしている時だってお世辞にも片付いているとは言えなかったけれど、今この状態に比べたらそれは綺麗に整えられていると言えるものだった。 「今回はまた遠くまで行ってたんだな。」
十日ほど前にギンコが来たぞと付け足して、化野が湯飲みを二つ持ってやって来た。の向かいに座ると片方を差し出してくる。それを受け取りながら、この惨状はたった十日で出来上がったのかと心の片隅で思った。 「そうさねえ、ひとつきぶりかね?」
会わないときはもっと間を置くこともあるが、その前は結構頻繁に化野を訪れていたのでひどく久しぶりな気がした。茶をすすり、うんうんと頷きながらは懐を探った。同じく茶をすすっていた化野の片方の眉が跳ねる。 「なんだ、殊勝に土産でも持ってきたか。」
薄く微笑んだのを肯定と取ったのか、湯飲みを傍らに置いて化野が手を差し出してきた。はその手の上に何かをゆっくりと落とした。 「おい、こりゃ何だ。」 鼈甲でできたそれは、小振りながら凝った細工がしてあった。素人の目から見ても、直ぐに高価だと判る。 「…で、何で帯留めだ。」 盛大に溜息を吐いた化野は、手に取った帯留めをに返そうとした。 「仕方なかろうね、化野へと貰ってきたんだから。」
複雑な表情から化野の思うところをいくらかくみ取って、は目をよそへやった。そうしてぽつぽつと話し始める。 「それでね、わたしはさっさと立ち去ろうと思ったんだけどねえ。」 そこを引き留めた奥方が、に問うたのだそうだ。
『長々とお引き留めしてしまいましたが、お家にはご飯を作って帰りをお待ちの方がいらっしゃるのではありませんか?』 「…それで、お前なんて答えたんだ。」
お前さんに渡したんじゃないかね、とは締めくくり再び茶をすする。化野は盛大に歪んだ眉で手の中の帯留めを見つめた。それから、を見る。いつもと変わらぬ表情で、いつも通り茶をすするは自分で話した内容に少しも疑問を感じていないのだろうか。 「あのな、。その奥方はお前に奥さんか良い人は居ないのかって意味で訊いたんだろ?」
化野はがっくりと肩を落とす。付き合いが長いし、何かと溜まり場として家を提供しているがまさかここまでとは思っていなかったのだ。このままでは今にギンコも同じようにして土産を持って来かねない。今回だって、持ってきたのがギンコだったら恐らく一発殴っていたかも知れない。 「…俺はお前達のおさんどんか…」
哀愁すら漂わせて呟く化野の手から、は帯留めを取り上げた。この本の虫に帯留めなど、どういう使い道があったかと道すがら考えてはいたのだ。奥方に問いかけられ、家と言われ思い浮かべたのはこの後立ち寄ろうと思っていたこの家、飯を作ってくれる人は他でもないこの男。 「ふむ…それじゃあ、これはどうしようねえ。」
お前が言うのか、と化野の目つきが一瞬悪化したが直ぐに溜息に変わった。今更に何を言っても無駄だと分かったのだろう。 「ご期待通り、飯でも作ってやるか…買い物に行ってくる。」
どうせ、自分も最後に食べたのが何だったかよく思い出せないくらいに作業に没頭していたから。書物の山から財布を捜していると、後ろでが立ち上がる気配がした。化野のとなりを通り過ぎ、台所に二人分の湯飲みを置いて戻ってくる。 「わたしも行こう。」 楽しそうに笑んだを見て、今一度溜息を吐こうとした化野は失敗してぐちゃぐちゃに顔を歪めて笑った。 |
(061025)
数日後、同じような経緯で両手いっぱいに野菜を持ってギンコがやってきます(笑)
奥さんというよりもふたりのお母さん、化野先生。