陽の高い時間、ひろいひろい屋敷を囲むひろいひろい庭の片隅にある、ひろいひろい離れ。一体何人の人が入ったら、閑散さは無くなるんだろうと、こんな寂しいところにひとりで居ると考える。父上も母上も今日は夜まで帰らないし、離れには屋敷に雇われている人も訪れない。
 僕は今、ひとりぼっち。
 

(ああ、でも…)
 

 別に、誰か、が居たとしても僕はひとりでしか無いのかも。
 父上と母上が、僕のために建ててくれた離れの、一番景色が良い座敷部屋。見下ろす庭の池、ゆったりと泳いでいる魚たちを見ながら思う。視界の端に、無造作に散らばった着物の裾が見える。女物で、とびきり派手な柄ばかりなのは、誰かに見つけて欲しいから。だって、ひとりぼっちは心細い。
 

「よぉ、良いご身分だな?。」
「…―!!」
 

 瞬間、目に映るすべての色がくすみきったそれから、鮮やかなものに変わった気がした。このまま陽が落ちるまで、このつまらない僕の思考は続くはずだった。それを一気に断ち切った、僕以外の声。
 慌ててちゃんと庭を見下ろしてみると、池にかかる朱塗りの橋に人影があった。細まった目は、呆れているよう。鋭い目、乱雑に結われた髪の毛、僕ほどじゃないけれど着崩した立ち姿。
 きゅっと、視界が狭まったのは、きっと僕が笑ったからだ。
 

「紺!」

 

 

道しるべ

 

 

 

 座敷部屋に上がって貰うと、紺はきょろきょろと忙しなく視線を巡らせた。最後に、彼を見つけたときと殆ど変わらない場所で座り込んでいる僕を見て眉を寄せる。何か可笑しいところがあっただろうか。瞬きしていると、はあ、と溜息。
 

「こんなところに籠もってるから、ぼけっとするんだ。外に出ろ、外に。」
「ぼけっと、してるかな?」
「どう見てもしてるだろーが。今もさることながら俺が声かけるまでの顔といったらすごかったぜ。」
 

 果たしてどんな顔をしていたか、自分では勿論分からない。僕は苦笑しつつ、傍らにあった菓子の乗った盆を差し出した。
 どっかりと腰を落とした紺は、それでも部屋の中をきょろきょろと見ている。
 

「殺風景すぎるぞ、この部屋。」
 

 そんなことを言われたのは初めてで、僕は盆を差し出した手をそのままに瞠目する。紺はさも当然のように言うけれど、この部屋は父上と母上が僕のためにときれいにまとめ上げてくれたお部屋なのだ。生活する為の場所じゃないから、ものは全くと言っていいほど置いてないけど。それを殺風景、と一言で切り捨てたのは紺が初めてだ。
 

「趣味の良いお部屋だって、よく言ってもらうんだけどな。」
「そりゃ、来る奴が来る奴だからだろ?鴇でも俺と同じこと言うだろうさ。」
 

 こんな部屋にひとりでぽつんといるなんて身体に悪いし寂しいよ!ほら、俺たちと一緒に外に出よう、ね?
 僕から顔をそらしたまま、紺は一気にそう捲し立てる。きっと、トキの真似っ子なんだと僕が気付くのに、少し時間が要った。一拍置いて笑ったら、煙管の先で頭を叩かれてしまった。煙管の先は金属でできているから容赦なく振り落とされて少しジンジンと響く。
 痛みを主張する頭を撫でながら、でも、確かにトキならそう言うかも知れないと思った。
 最近知り合った目の前の紺と、トキは、僕と「一緒」だった。別の世界から、自分の一部を取られながら、ここに迷い込んだ。ふたりが話すこの世界とは無縁な言葉に思わず耳を疑って、考えもせずに声をかけたのは僕だ。懐かしくて、懐かしくて。
 

「よく分かったね。」
「あ?」
「ここに、僕が住んでるって。」
 

 出会ったときに遊びに来いとは言われたけれど、自分の家を教えるのを忘れてしまっていた僕は少なからず後悔していた。次に会えたときには絶対言おうって心に決めていたんだけど先に紺が来るとは思いもしなかった。
 

「酔狂な京風の屋敷と、そこに住んでるこれまた酔狂な若さま…この場所を見つけるのに時間なんてそう要らねえよ。」
 

 僕の疑問に差し出した菓子を食べながら紺がぼやく。
 

「そっか」
 

 他に何を言えばいいのか分からなくて、僕はそんな一言を落として黙り込むしかなかった。紺も紺で言葉の応酬を望んでいる訳じゃないらしく、菓子をどんどんと平らげていく。よっぽどお腹が空いていたんだろうか。その見事な食べっぷりを僕はまじまじと見ている。
 

「…来ればいいだろうが。」
「へ?」
 

 まじまじと見過ぎて、紺がやっと喋った一言を聞き逃してしまっていた。間抜けな声と一緒に、弾かれたように顔を上げる。
 指の先を舐め取りながら、紺が半分睨むようにして僕を見ていた。
 

「だから、俺達のところにだよ。ひとりで何鬱々としてんだ、お前は。」
 

 どうやら怒られているらしい。それだけ感じ取ってぼそぼそと謝ると、再び煙管の先が振ってきた。同じ所ばかり叩かれて、額がとても痛い。もしかすると、赤くなってるかも。
 

「別に、鬱々としてたわけじゃ…」
「鴇が、」
「?」
「鴇が、なかなかが来ないって騒いでばっかりだからうるせえんだ。」
 

 できたばっかりの友達の家に遊びに行くって、とっても勇気が要ることだ。小学校に行っていたとき、クラス替えがあったときとか、新しい友達ができる度にそうだった。遊びに行きたいなって思って、たくさんたくさん話をして、「僕こんなゲーム持ってるんだ」とか、「じゃあ今度一緒にやらない?」とか、そういうやり取りをしてやっと。家の場所を確認して、お母さんにおやつを持たせて貰ったりして、それで。
 ふたりは元の世界で高校生だったらしいけれど、高校に行くような、おっきくなってからだと初めてできたばっかりの友達と遊ぶことなんて大したことじゃないんだろうか。
 来てもいいよって、受け入れて貰ったのはすごく嬉しかったけど、一体どこまで大丈夫なんだろうって。考えてばっかりいた。
 だって、僕はいつだってひとりぼっちだった。このひろい部屋に寂しいなんて思うことすら忘れて、ひとりぼっちだった。
 

「……じゃあ、」
 

 不機嫌そうな紺を目の前にして、沢山沢山考えた挙げ句、やっと僕は切り出した。紺の片方の眉がピン、と跳ねる。
 

「じゃあ、遊びに行くよ。…明日、行くから。ぜったい。」
「お、おう。」
「ぜったい、行くからね?」
 

 知らず語気が強まったのか鼻白む紺に僕はそれでも不安で少し多めに念を押す。分かったから、と身を乗り出した僕の身体を紺が押し返す頃には、感情が高ぶりすぎてもう泣きそうだった。ぎゅっとしかめた顔に、泣きそうだと思ったのか紺が呆れた顔で僕の頭をかき混ぜた。
 撫でると言うには、少し乱暴すぎる。けど、とっても優しい感じがした。
 

「いちいちオーバーなんだよ。」
「うん…」
 

 すっかり聞かなくなってしまった片仮名の言葉が耳にじんわりと馴染む。僕は思う。
 もうひとりじゃないかも知れない。
 もう寂しいと思ってもいいのかも知れない。
 気付いたら、泣きそうだと思ったまま涙が零れて、それでもそのまま笑ってしまった。紺がめいっぱい驚いている。
 

…お前な、」
「どうしよう、楽しみで今日寝れないかも知れないよ。僕。」
「ガキか。」
「ガキだよ。だって、遠足の前の日もそうだったんだもの。」
 

 泣くのか笑うのかどっちかにしろ、と紺が僕の目元をこする。僕よりもずっと逞しい指は、多分本人に言ったら怒られるんだろうけれど、元の世界のパパを思い出した。
 滲まなくなった視界で微妙な顔をした紺に笑いかける。苦笑に近いけど、やっと笑い返してくれた紺に、胸がいっぱいになった。

 

 

 

 

(080113)
あまつき夢。設定は「the stopped Heart」から続いています。
これも前のサイトで頂いていたリクエストのひとつなんですが…
流石にもう見てらっしゃらないだろうなあ(汗)とも、思いつつ。
こっそり捧げさせていただきます。