欲しいのものはひとつしかないのに

 

 パソコンの設定を終えてリビングに戻ると、部屋の主はぼうっとソファに座って窓の外を見ていた。
 

くん、終わったけど。」
 

 声をかけても返事がない。裕二は溜息混じりに髪の毛をかき混ぜた。
 の後ろに立つと、頭のてっぺんを人差し指で軽く突く。そうしてやっと、は必要以上に肩をびくつかせて裕二を振り向いた。
 

「え、何?お茶?」
「違うって。パソコン、繋がったよって言ってるの。」
「あ、りがと…」
 

 瞬きを繰り返して半分理解してない風に礼を言うに、裕二は呆れ気味の顔で「どういたしまして」と返した。そのまま回り込んで、の隣に腰掛ける。
 が眺めていたのは、どうということのない風景だ。高層マンションから見える、見慣れた街。裕二も最初にこの部屋に来たときは思わず眺めてしまったけれど、何度か来ていれば普通になる。マンションがここに建った時から住んでいるならば、尚更見慣れた眺めだろう。
 風景からあっさりと視線を剥がし、裕二はローテーブルの上を見た。ガラスの天板がはまったそれの上には、無造作に携帯電話が放られていた。ストラップも何も付いていない薄型の、の携帯だ。いつもなら彼のズボンのポケットにねじ込まれているものだ。
 

「全く、自分からお願いしたクセに忘れちゃったの?」
 

 無言を貫き通す携帯電話に目を眇めて、裕二は隣のに話しかけた。今度は呆けることなく、がこちらを見る。
 

「ごめん、そんなんじゃないんだけどさ。ちょっとぼっとしてて。」
 

 コーヒーでも淹れてくるよ、と取り繕うように笑ったは立ち上がってキッチンへと行ってしまった。それを見送った裕二は、身体をソファに埋めた。
 このマンションの一室には、が家族で住んでいる。と、いってもの両親は共働きでふたりとも忙しく、日中に家に居ることはほぼ無い。かく言う裕二も、の両親は一度も見たことがなかった。一人っ子のは、大学生という身分も手伝って、必然的にこの広い家にひとりきりで居ることが多くなる。
 元居た家はともかく、今は狭いアパート暮らしの裕二にとって、の家は時々落ち着かなくなるくらい広々としていて、また閑散としている。だから、彼と会うときはなるべく外で会う。何となく落ち着かないのだ、ここは。それに比べて騒がしい街中や、小次郎の古着屋ならば変な沈黙も気にならない。
 今日その落ち着きの無さを感じながらもここに居るのは、偏にが「新しいパソコンを買ったもののインターネットに繋がらない」と裕二に相談してきたからに過ぎない。じゃあ見てあげるよと二つ返事で頷いて、今に至る。
 

(ふたりきり、っていうのは悪くないんだけどね。)
 

 裕二としてはそう思うが、それ以上にこの家の居心地の悪さが勝る。対面式のキッチンで沸いたばかりのやかんのお湯を注いでいるにちらりと視線を向ける。
 と知り合ったのは、偶然だった。たまたま、自分が小次郎のショップに行ったときにが居たのだ。は裕二や美月よりも前からの竹虎と小次郎の友人であるらしい。
 ふたりに比べれば、はあまりに「普通」だった。竹虎の様に意外性のある特技があるわけでも、小次郎のように強いわけでもない。確かにこのマンションのことを考えればお金持ちと言えないこともないが、それだったら恐らく自分の家の方が豊かだろう。飛び抜けて頭が良いわけでもない。普通に大学に進学して、普通に暮らしている、普通の人間だ。自分が歪むような感覚や、悪事に手を染めることなど考えたこともないに違いない。付け加えれば、容姿も水準以上の物を兼ね備えているように思うがやはり普通だ。
 

「ミルクと砂糖、いらないんだっけ?」
「うん」
 

 「普通」だらけのは、竹虎たちや裕二と居ると逆にその「普通」が特別に見える。にそんな自覚はないのだろうが、彼は自分達の中にあって、竹虎とは違った安らぎのような存在だ。だから、というのもなんだが、惹きつけられた。
 

「はい、どうぞ。」
 

 やがてトレイの上にマグカップをふたつ載せて戻ってきたが、その内のひとつを裕二の前に置いた。湯気の立つカップに直ぐには手を付けず、礼を言う。もうひとつのカップを自分の前に、トレイをテーブルの脚に立てかけるように置いたは首を緩く振って笑った。
 暫くそうやってふたり並んだまま黙ってコーヒーをすすっていた。その沈黙を破ったのは、どちらの言葉でもなく、テーブルの上の携帯電話だった。
 

「! もしもしっ!!」
 

 1回目のコールが終わるか終わらないかくらいで、が携帯電話を掴むように取り上げた。ぱっとサブディスプレイに映る名前を確認したと思ったら、ぱっと開いてボタンを押しながら耳に当てる。
 その様子と、上擦った第一声で、不本意ながらも裕二には電話の相手が分かってしまった。一気に自分の中の体温が冷めていくような、面白くない気持ちもちゃんと自覚する。
 

「うん、そう。今家…小次郎は?…うん、うん。」
 

(ったく、さっきまでの静かでのんびりした雰囲気はどこ行ったんだよ。)
 

 眠そうにすら見える、先程までのぼやっとした面影はもうどこにもない。裕二の隣で、目を輝かせながらは電話に応対している。どうせ相手には見えないのに、何度も何度も大きく頷いて。
 の態度はあからさますぎる。これでも周囲に対して隠そうとしているのだというから、おかしい。が小次郎に片思いしていることなんて、今じゃ小次郎以外のみんなの知るところだ。
 告白でもなんでも、してしまえばいい。裕二は最近いつもそう思って止まない。
 伝えるだけ伝えて、断られてしまえばいい。
 竹虎などのお人好しに聞かれると怒られそうな考えだけど、裕二の正直な気持ちだった。それに、確信がある。小次郎はきっと、の気持ちには応えない。
 

「わかった。じゃあ今から裕二くんと一緒にそっち行くよ…竹虎くんは仕事?うん、…そっか。うん。」
 

 ただ他愛もない、みんな関係あるこれからの予定を話し合っているだけだ。それなのに、目の前のの嬉しそうなことといったらない。気を抜けば、彼が怯むような顔をしてしまいそうだった。
 さっさと告白して、ふられて、傷付けばいい。どこまでも落ち込んで、そうしたら。
 暗い想いに捕らわれていた裕二を尻目に、は電話を終えた。ボタンを押す瞬間、少しだけ名残惜しそうな貌をしたのも、厄介なことに見逃せなかった。が笑顔をこちらに向ける。
 

「今からみんな集合だってさ。」
「そう。」
 

 今直ぐにでも部屋を飛び出していかんばかりのの腕をとる。瞬きを繰り返してこちらを見てくるから、裕二はあごでテーブルに置かれたコーヒーカップを指した。
 

「コーヒー。せっかくくんが淹れてくれたのに。」
 

 裕二はが電話に夢中になっている途中に半分以上飲み終えたが、それでもまだ3分の1は残っている。にいたっては、半分も無くなっていない。未だ、湯気がたっているくらいだ。
 言った言葉に嘘はない。本当に、折角が淹れてくれたコーヒーだから、どうということのないインスタントコーヒーでもゆっくり飲み終えたかった。それに、それを口実にしてもうしばらくだけふたりで居ることができる。居心地の良くないの部屋であっても、今の状態でそのまま行きたくない。子供染みた感情だ。
 でも、
 

「いいよ、コーヒーくらい。」
 

ありがとう、と笑ったの心は既に皆の、というよりも小次郎の元へと行ってしまっているようだ。こうなってしまっては、もうどうしようもない。
 裕二は器用に微苦笑を浮かべて立ち上がる。奥底でくすぶる醜い気持ちを、表に出すわけにはいかない。ここで渋ったり、不機嫌になったり、そんな不自然な行動はできないのだ。
  ひとりだけ呼び捨てにする。普段ほったらかしにしてばかりの携帯電話だって、かかってくるかも知れないならずっと側に置いて見つめてる。言葉を交わしているときは、どんなときよりも顔が生き生きとしている。それだけ、分かり易い態度をしているのに、いつまで経っても踏み出さない。
 

(いつまで見てるだけなの?)
 

 そして、自分はいつまでそれを眺めていなければならないのか。
 目の前を進む華奢な背中に、心の中だけで問いかけた。

 

 

 

 

(080620)
ドラマも始まりますが、あくまで原作中心です。
そしてどこまでも片思いの三角関係。
武良も投入したい(笑)