変わり者同士の押し問答

 

 変わってるなあ、と思う。
 事務所の中を段ボールを抱えて歩いていたは、立ち止まって入り口の方を見た。微かに聞こえた黄色い声は、開いた扉からジーノが入ってくるときに一際大きくなった。いつも通り、涼やかな笑顔で手を振りながら、その実、特段ファンに構うことはせずにジーノが事務所に入る。
 パタン、と扉が閉められると黄色い声がぐぐっと聞こえなくなって、それはやがて静寂に飲まれてしまう。立ち止まってその様子をじっと見ていたに気付いて、ジーノが首にかけたタオルで顔を拭きながら片手を上げた。
 

「やあ、じゃないか。」
 

 こちらは両手に段ボールを抱えていたから手を振り返せなかったけれど、意に介することなく、そのまま彼はこちらにやって来た。逃げる理由は無いから、も立ち止まって彼がやってくるのを待つ。
 直ぐ目の前までやって来たジーノは、いつも通り王子様だった。汗をかいていても、それが世良たちとはまるで違う効果をもたらすのだから、すごい。よりも心持ち背が高く、微かに見上げればさらさらの髪の毛を何が気になるのかひたすら弄んでいる。
 

「お疲れ、ジーノ。」
「そうだね、今日は頑張りすぎたよ。」
 

 そう言って、ふう、と悩ましげに溜息を吐く。おそらく松原辺りが聞けば「頑張り過ぎなんてことはないだろう!!」と丸々した体形を弾ませながら怒るに違いない。生憎、ここに居るのは頑張りすぎたと思っているジーノと、多分そこそこくらいだろうななんて思うけど口にはしないだけだ。
 頑張ったかそうでないかの議論はする前にとっとと放り投げて、は段ボールを抱え直しながらジーノを見る。彼以外の選手はまだ入ってこない。
 

「今日はもう上がり?」
「ああ、シャワーを浴びたら帰るとするよ。…どうしたのおかしな顔をして。」
 

 頷いていたジーノは器用に喋りながら片眉を跳ね上げて、を見下ろした。そして、が「え」と声を発するより早く、その鼻を長い指で緩くつまむ。
 

「む!!」
 

 鼻が詰まったような声をが上げると、ジーノはそれは楽しそうに笑いながら、少しだけ指に力を込める。ジーノのそれに比べれば低い自分の鼻は、つままれていると息がさっぱりできない。結果、だらしなく口を開けるはめになる。
 

「ジーノ!」
「はは、鼻が高くなるおまじないだよ。」
 

 微かに怒ってみせれば、両手を降参、と挙げる形でジーノはの鼻から指を離した。やっと自由に出入りするようになった空気に、は肩の辺りに鼻をすりつける。
 彼はときどきこうやって、遊んでいるのかの鼻をつまんだり頬をつついてきたり、不可解な行動をするのだ。はもう三十路が手招きを始めた立派な男性であり、一応ジーノよりも年上なのだ。だが、彼に年上らしい扱いをされたことは、思い返す限りではない。もちろん、誰にでも分け隔てなくそういう態度のジーノだから、年上扱いしないことが不満とかそういうことではないのだ。
 だが、こうも鼻をつままれたりとちょっかいを出され、楽しそうに笑われたのではかなわない。大体このジーノ曰く「おまじない」で本当に鼻が高くなるものか。効果があるなら、今頃の鼻はジーノより高くなっているだろう。
 

「…ったく、」
「あれ?怒ったの?。」
「別に、これくらいでいちいち怒るかよ。…いや、ちょっとさ、」
 

 きょとんと首を傾げたジーノは、が怒っていないと言うなり少しだけ嬉しそうに笑う。それに首を傾げながらも、「おかしな」と評された表情の理由について続ける。
 

「ジーノが入ってくるのが見えた時になんとなく…ねえ、サインしてあげないの?」
 

 ジーノのサインは非常にレアだ。ファンに対して誰にでも分け隔てなく手を振ってくれるけれど、いくら頼んでも、色紙を掲げてアピールしても彼はサインをしてあげない。他の選手に比べたら断然人気があるし、好かれているのだからサインの1枚や2枚、気紛れにしてあげればいいのにとついつい思ってしまう。
 さっきだって羨む人はものすごく羨むような黄色い声に包まれて歩いてきたのに、きっとジーノはサインを1枚もしてないだろう。ファンに対する態度が悪いというわけではないから、他の選手やたちスタッフに注意されることもないが、不思議ではある。
 

「…まあ気が向いたらしてあげないことも無いけど、色紙を掲げる子みんなにしてあげる気にはなれないしね。」
 

 事も無げにそういうジーノの顔は、を見ないで眼を細めていた。彼が何を考えているのか、普通に推し量ることは難しい。
 と、ジーノは一歩こちらに進み出て、の抱えていた段ボールの中をおもむろに探り始めた。当たり前ながら一言の断りもなく、は瞬きを繰り返した。探られて困る段ボールではないから構わないけれど、彼の突拍子無い(ように見える)行動にはいつも驚かされてばかりだ。
 いろんなものをつまんでは離し、より分けていたジーノは、やがて先ず片手にマジックを取った。そうして、次は更に段ボールを物色して、もう一方の手にクリアファイルを持つ。
 

「これ、のかい?」
「あ、うん。ETUの新しい販促グッズなんだ。カッコイイだろ?」
「ううん…まあ、悪くはないかな。」
 

 何ともジーノらしい感想だが、クリアファイルを持った彼はまじまじとそれを見つめて「こんなものかな」と呟いた。が怪訝な顔で応えるよりも早く、ジーノは片手でクリアファイルをしっかり持って、もう片方の手に持ったマジックでさらさらと何やら書き始めた。
 が淀みなく滑らかに走るマジックをぼんやり見つめていると、それは直ぐに止まる。ジーノは大きく頷いて、マジックを先に段ボールの中に戻した。残ったクリアファイルの、何か書いていた面をに掲げるようにしてみせる。
 派手すぎない、でも、やっぱりどこかオーラを感じてしまう走り書き。それは、ジーノのサインだった。
 いや、はジーノのサインをこの目で見たことがないから、これはあくまでも推測だが、背番号らしき「#10」という文字も見えるから間違いなさそうだ。もっとも、新品のはずのクリアファイルのデザインは、もうすっかりジーノのサインで潰れてしまった。
 

だから、あげてもいいよ。」
 

 そう言って笑ったジーノは、サインの書かれたクリアファイルも段ボールの中に戻した。最初は蓋が閉まってなかったそれを、丁寧に閉じて、ぽんと叩く。
 

は変わってるから、ボクも時々つられて変な行動をしてしまうよ。困ったものだね。」
 

 そうして、数分前にが誰かに思ったことをそのままこちらに被せてきた。どっちが、と言いたかったが、どうしてか今のジーノにそれを言う気になれず、は押し黙る。
 じっと、何か言いたげな表情でジーノを見上げれば、判っているよとでも言うようにジーノはじっとを見下ろしてくる。拗ねたように言う割に、顔はどこまでも楽しそう。何だか、うまくしてやられたような気分だった。

 

 

 

 

(090211)
書いちゃった!(笑)
只今大ハマリ中のジャイキリ夢1号です。なぜか好きすぎて困っている王子で。
モーニングで連載中で、只今単行本が9巻まで出ています!
サッカーの監督が主役のマンガで、ほんと、キャラも魅力的で話も面白いからぐいぐい引き込まれちゃいます!
おすすめです!ジャイキリ夢増えると良いな〜(笑)