ジーノ宛らしい、見たこともない、それでもすごく手触りの良い紙袋を取り上げる。箔押しの流れるような筆記体は、眼を細めたって読解不可能だ。中身がチョコレートなのか、それとも別のプレゼントなのか判別も出来ず、選り分けに困ってしまう。
「ねえ、恒に―」
「ああ。そのチョコ、美味しいんだよねえ。今度にもあげようか。」
「うおっ!」
人生の先達ならば、この袋の中身が分かるかも知れない。そう思って、が後藤を振り向こうとした瞬間に、紙袋を長い指が突いた。ついでに、視界の端にいつの間にか高い鼻が映り込んでいる。長い指、高い鼻、そして耳朶に心地良い滑らかな声は紛れもなく、
「ジーノ!?」
「やあ」
この部屋には後藤と自分しかいなかったはずなのに、一体いつここまで入り込んできたんだろう。しかも、今日は練習もないから選手達はひとりも来ていないはずなのに。
しかし至極当然といった様子での隣に座っている王子様は、他の人へのプレゼントも摘み上げたりしていつも通りのマイペースだ。心臓が飛び出るかと思うくらいにが驚いたことも意に介していない様子である。その向こうでは、後藤がと同じく目を真ん丸にしてジーノを見つめている。彼もジーノの出現に気付かなかったらしい。
「ふたりともちょっと鈍すぎるんじゃないかい?ボクは普通にドアから入って来たのに。」
「お、おま、いつの間に…」
「ついさっき、ここに着いてね。外からこの部屋にGMとが居るのが見えたから、来たんだよ。」
言いながら、ジーノが外に面した窓を指さす。それを追いかけていけば、外に駐められているジーノの愛車が見えた。太陽の光を受けてつやつやと光るボディは、いつ見ても高級そうだ(実際目玉が飛び出るほど高級な外車だ)。ここの部屋にはブラインドがあるものの、覗かれて困る物も今は無いし、敷地内だから練習さえ無ければ部外者が通りかかることもないから普段開上げっぱなしだ。後藤もも、ブラインドを閉めて外に対して目隠しするということは考えもしなかった。
いつまでも驚いていてもますます間抜けに見えるだけだし、は取り敢えず手にしていた紙袋を食べ物の方へと置いた。驚いたけれどジーノが口を出してくれたことで、この正体不明の紙袋の中身がチョコレートであることが分かったのはありがたい。
ジーノを向き直ると、やたら機嫌が良さそうだ。彼には関わらずプレゼントの仕分けすることを選んだらしい後藤はこちらを見向きもしないから、自然とひとりで相手をすることになる。
練習がないから、当然彼はユニホーム姿ではなく見慣れない私服姿で、手には紙袋を提げていた。私服はレザーとか、手触りの良さそうな生地とか、やっぱり何かしら高そうな洋服を、彼らしく華美すぎずまた地味すぎずコーディネイトしている。サッカー選手というより、これだと雑誌の表紙でも飾っていそうなモデルである。悲しくなると分かっていても、自分の恰好を見直してしまう。
「…で、どうしたんだよ。今日休みだろ。」
恰好について言及したところでどうにもならない。気をとりなおして、はジーノに問いかけた。
の顔を一瞥したジーノは、片眉を器用に上げた。その顔は「何を分かり切ったことを訊いているのだ」と言わんばかりで、はたじろぐ。分かり切ったことも何も、どうしていきなりジーノがここにやって来たのか見当も付かないのだ。自分と約束していたということもないし、今はフロントと選手が話す時期でもないし、あの驚きようからいって後藤だって約束などしていないだろう。
考えても思い当たらないので、は大人しく首を左右に振った。時間を延ばしたって、ジーノが我慢できなくなるだけだ。のリアクションに、ジーノは肩を竦める。
「らしいね。」
「なんだよ、それ。」
「怒らないで欲しいなあ…ほら、あげる。」
思わずむっとしたに笑いかけて、ジーノは持っていた紙袋から何かを取り出すと差し出した。反射的に受け取って、それをまじまじと見つめる。
「薔薇だ…」
薄いピンク色の薔薇。それ一輪だけのシンプルな花束だ。ジーノと花を交互に見やって、は頭上にクエスチョンマークをこれでもかと言うくらいに浮かべた。なぜ、ジーノが自分に花などくれるのだ。
今日は誕生日ではないし、その他の祝うべき記念日でもない。でもジーノはしっかりとに向かって差し出してくれたのだから、これは自分に贈られた花束なのだ。
「ってゆーか!花屋の息子に花とか贈んじゃねーっつの…喧嘩売ってんのかよ。」
の実家は花屋だということは、周知の事実だ。コーチになることを熱望されていた父親があっさりと妻の実家の花屋を継いだことは、サッカー業界内であれば知る人ぞ知るニュースだった。今やスポーツ選手などに御用達になっているの実家を、ジーノも確かに知っているはずだ。
だが、今しがたもらった一輪の薔薇の包装紙はどう考えても家の物ではない。さっきのチョコレートではないが、箔押しの模様に、一箇所だけ描かれたエンブレム。分からないが、どうせジーノのチョイスだ、有名だったり高かったりする店の物に違いない。
どうせくれるなら自分ん家で買ってからくれ、と言えるほどの不遜さも持ち合わせていないは、少し喧嘩腰にそう言うのが精一杯だった。ジーノにとってみれば、痛くもかゆくもないだろう。実際、の言葉を受けたジーノは笑みを濃くしただけで、花屋の息子に商売敵の花をプレゼントしたことについてはノーコメントだった。
「じゃあ、ボクは行くよ。またね、。」
やたら上機嫌で、の前髪にさらりと触れて立ち上がる。今度こそ大口を開けて見上げてくるにひらひらと手を振ると背を向けた。本当に、もう行ってしまうらしい。
困るのは、ジーノから薔薇をもらったという事実以外、何も分からないままのだ。薔薇を片手に握ったまま咄嗟に立ち上がると、ジーノのジャケットの裾を掴む。気紛れな彼らしく嫌がるか、払ってそのまま歩いて行ってしまうかと思ったが、意外なことにちゃんと立ち止まってくれた。裾を掴んだことに対しては、何のお咎めもない。ここぞとばかりに、はジーノの前に回り込んだ。
「わけ、わかんないんだけど。」
「そんなに強く握ると、花が駄目になるよ。できれば一旦家に帰ってちゃんと花瓶に生けてあげて欲しいな。」
「恒兄ひとりに仕事押しつけたまま帰れるかよ。…って、そうじゃなくて!」
どうにものらりくらりとはぐらかされてしまうようで、まどろっこしくなってくる。が少し声のトーンをあげると、ちらりと後方の後藤へ一瞥をくれたジーノが、じっと見下ろしてきた。がその視線を受け止めようとする隙に、いつものように鼻をつままれる。
「普段はそんな風に呼ぶんだね、知らなかったよ。」
「へ」
「分かるまで、教えてあげたくないね。」
抗議の声をが上げるより早く、ジーノはぱっと鼻から指を離した。今の今まで上機嫌だったはずなのに、もう既に機嫌は下降し始めているように見える。
今度こそジーノは部屋から出て行った。扉が閉まる乾いた音と、廊下を歩く難い足音が遠くなっていく。
が憮然としている内に、外にジーノの姿が見えた。長身はピカピカ光る高級外車の中に滑るように消えて、ドッ、と地面を伝って響くエンジン音がしたと思ったら、車は敷地から見えなくなった。
そうしてやっと、は弾かれたように動いた。ばっと手を振り上げて、まだ握ったままだった薔薇を見つめて、また力なく下ろす。深々とした溜息を落としながら席に戻れば、知らないふりを決め込んでいた後藤がこちらを見つめていた。その顔は、とても心配そうだ。
「俺、ちょっぴり生きた心地がしなかったぞ…。」
「え?恒兄が?どうして。」 |