一番じょうずに甘やかすひと

 

 その日は久々の休日で、はぶらりとあてもなく街に出ていた。普段ETUのスタッフ業をこなし、その合間に実家の生花店も手伝っている。普通の社会人とは違うが、それなりに忙しく充実した日々を送っているのだ。
 のんびり人混みを掻き分けながら歩いていると、携帯が震える。チェックしてみれば、母からの買い物メモだった。買ってこいと言うことらしい。苦笑して携帯を閉じると、前方から大きな声が聞こえた。
 

「あ!さんだ!!さーん!こっち、こっち!!!」
 

 紛れもなく自分を呼ぶ大きくて明るい声には聞き覚えがあって、は周りから浴びる目線を伏し目がちに受けながら歩調を速める。歩き着いた場所には、声と同じくらい明るく笑った世良がいた。
 

「うわ、スゲー偶然っスね!」
「世良、お前も今日オフなの?」
「っス!いやー、ホント偶然。ラッキー!」
 

 あまりに嬉しそうに笑うので、は首を傾げた。クラブハウスではよく顔を合わせているから、珍しいものでもない。かくいう昨日だって、朝昼夕と少なくとも3回は顔を合わせた。会う度に言葉や笑顔を交わしたのだ。それなのに、偶々街中で会っただけで、こんなに喜んでしかも「ラッキー」とは。
 思わず本人を目の前にしては小さく笑ってしまった。それを見た世良は過敏に反応を示し、くちびるを突き出した。分かり易い不満のポーズだ。
 

「あー、バカにしてるっしょ?さんたら。」
「だって、クラブハウスで嫌って程顔合わせるだろ。オフでまで会ってもそんなに嬉しくないんじゃないか?」
 

 先程まで思っていたことをすんなり口に出せば、世良はくちびるはそのままで、「分かってないなあ」とこれ見よがしに溜息を織り交ぜながらこぼす。
 

「俺だって、こーやって会うのがさんじゃなかったらこんな喜んでないですって!」
「俺?」
「そ。さんとだから普段と違う所で会えたのが嬉しいんですもん。他の人でもなあー、別に、堺さんとかと会ったってげーって思うだけだし…。」
 

(それは、堺さん聞いてたら怒られるんじゃないか?)
 

 自分と会えたからとても喜んでくれている、と言うのはよく判ったけれど、例えが良くないと思う。ここはETUのホームタウンで、他の選手達が出歩いていてもおかしくない場所なのだ。世良曰く「げーって思うだけ」の堺だって、出会う確率は確かにある。普段何かとヘマをやってしまう世良に、は思わず心配になって辺りを見回してしまう。
 世良がきょとんとした顔でこちらを見るので、は何でもないと苦笑いで首を振った。辺りには堺はおろか、他のETUの選手もいないようだ。
 

「それで、世良は買い物?」
「…買い物ってゆーか…」
 

 気持ちを切り替えて目の前の世良に問いかけると、なぜか言い淀む。
 あれ、と怪訝な顔をすれば、の気分を損ねたのではないかと世良が慌てた。両手の指をいっぱい開いて、ぶんぶんと顔の前で振る。違います、言います、直ぐ言います、と言葉よりも雄弁に訴えていた。
 

「め、メシに…」
「え?」
「メシを、食いに行こうかなあー…なーん、て……」
 

 どんどん小さくなっていく語尾に合わせて、世良の動きも急速に元気を無くしていく。それに反比例するように、の顔には呆れの色が広がっていった。
 

「世良、お前ね…今何時だと思ってるの。」
「う…」
 

 ちなみに、時計の針が示す只今の時間は午後2時過ぎ。昼食にしたって、時間はもう遅い。朝飯なのか昼飯なのか、よく見たら髪の毛に変な寝癖がついている世良に問うのは怖いからやめた。
 時々堺や他の選手にも諭されることがあるようだが、世良は時々自己管理が甘くなる。アスリートとして、シーズン中の体調管理は絶対必要だ。プロなのだから、言われるまでもなく当たり前。プロとして年月を重ねれば重ねるほど、その様はストイックになっていく。
 だが、目の前の世良は若さに甘えているのか、それとも若さで何とかなってしまうから必要性を感じられないのか、体調管理を疎かにすることがある。オフだって、何日も続く訳じゃない。恐らく、明日は普通に朝から練習だろう。
 が溜息をつけば、世良はますます小さくなる。何も言わなくても、何を言われるのか正確に感じ取ったらしい。顔を見れば十分に反省していることは分かるし、は自己管理の何たるかをこの往来で世良に説教できる立場ではないから、これ以上は何も言わないことにする。
 

「じゃあ今から定食屋さんでも行くの?」
「いや、それがまだ何も決めてなくて…歩いてたら、さんの姿が見えたからまず声かけちゃいました。」
「そうだったの。」
 

 こんな風に言われてしまったら、ジーノじゃないけどまるで世良が懐いてくれてる犬のように見えてしまう。は顰め面を解いて、世良の頭を撫でる。寝癖を直すようなそれに、世良が瞬いてこちらを見た。
 

「今から俺買い物して帰るから。」
「へ」
「世良は荷物持ちね。」
「え、ちょ、」
 

 髪の毛を撫でていた手で世良の腕を取って、が引っ張るようにして歩き始める。ぐん、と引っ張られるような感触はあるけれど、なんとか世良は足を動かしてついてきているようだ。
 戸惑うような声が、後ろから追いかけてくる。
 

さんっ!」
「ご褒美は俺の家でご飯。栄養バランス考えて、ちゃちゃっと作ってあげるから。」
 

 これで何も咎めず別れて世良にファーストフードでも食べに行かれたらたまらない。食べる時間は少し遅くなってしまうが、野菜をふんだんに使った手作り料理の方が栄養価的にまだましというものだ。
 ふと、世良を引っ張る腕が軽くなる。掴んだ感触はそのままだったから、が振り返ろうとすれば、いつの間にか世良は隣に並んで歩いていた。顔が、先程とは見違えるようにきらきらしている。こちらまで嬉しくなってしまう笑顔だ。
 

「俺、何でも持ちます!冷蔵庫とかでも大丈夫っス!!」
「…さすがに冷蔵庫は買わないよ。」
 

 偶の休みだったのに、いつの間にかいつものようにETUの選手と話している。これからの時間は世良を世話して終わるんだろうな、と思ったらいつもの仕事とあまり代わり映えがしない気がする。は頭の中で考えて、それでもまあいいじゃないかと呟いた。
 

(こうやって一緒に歩いていると、まるで弟でも出来たみたいだし。)
 

 差し迫った用事があるわけじゃないし、隣ではしゃいでいる世良を見ていると悪い気分にはなれない。欠点があると言えば、他の職場の仲間が見たら「甘やかしてる!」と言いそうなところだろうか。
 誰かに会った時の言い訳を考えながら、は空いた方の手で母に連れが増えたことをメールで伝える。既に世良はを引っ張るように少し前を歩き始めていた。

 

 

 

 

(110503)
ほのぼの兄弟。
堺さんに原作で散々言われてるからここまで自己管理できてないことは無いと思いますけど(笑)

title:群青三メートル手前/彩日十題