「こんな人が強いんだ。」
 

 まるでバカにした物言いに、思わず俺は眉を寄せた。

 

 

最後の切札

 

 

 

「何だ精市、この口だけでかい海藻頭。」
「…、」
「海藻とか言うなよ。」
 

 あくまでも優しい清市が苦笑いして俺の名前を呼ぶそれを、遮って海藻頭がまたほざく。人の話も最後まで聞けないのか、この海藻頭は。頭の中までぎっしり海藻なんじゃないか。
 いろんな気持ちを込めて俺が目に力を入れれば、取り敢えず黙った。視力がとても良いとは言えない俺は時々目を細める癖があるから眉間に皺が寄りやすい。そんなもんで、俺が睨み付けると結構怖いと評判だ。
 別に、嬉しくないけど。まあ、こういう時には役に立つ。
 

は1週間休んでたから初めてだよね…新入部員の切原赤也君。」
「えー…コレが後輩?中学入って初めての後輩がコレ?」
 

 中学生と言えば小学校よりも上下関係が厳しい。運動部となれば先輩とかさんづけとか、まあ、その辺いろいろある訳だ。2年生になってやっと可愛い後輩が出来て先輩面できると思っていたのに。
 

「コレ」
「コレコレ言うなっつーの失礼な奴だな!」
「テメェの方がよっぽど失礼だっての、ちょっとは黙ってろ海藻頭。」
 

 なんて惨い仕打ちだ。でっかくてステキな夢を、ハンマーでガラガラと容赦なくぶっ壊された気分だ。こんなの俺が想像してた可愛い後輩じゃない。こんな海藻みたいな頭ってだけでまずかなり予想外だし、いきなり「こんな人」とか言ってバカにしてケンカ腰だし、そう、敬うっていう気持ちが伝わんない。
 俺が睨んだって押し黙ってちょっと退け腰だけど、全く謝ろうって気持ちにならないみたい。結局そのまま一歩も退かず睨み合う俺と海藻頭の間に、困った様な顔で精市が割って入って来た。
 

「落ち着きなよ、二人とも。」
「だって精市、」「だって幸村先輩、」
「「……」」
「…真田、呼んでくるから取り敢えず落ち着いて、ね?」
 

 殴っちゃだめだよ、と苦笑しながら海藻頭じゃなくて精市の方が後ずさった。そのまま誰の言葉も待たないでそそくさと立ち去ってしまう。
 くそ、精市め、気まずくなりすぎて逃げやがったな。
 海藻頭と俺、ふたりだけで取り残されて益々気まずい沈黙が落ちる。睨み付けてくる目線が気に入らなくて、俺は身体全体でそっぽを向いていた。負けたんじゃない。多分このままだと殴りそうだったからだ。
 

「風邪ひいて休んでる先輩が結構強いって聞いたから楽しみにしてたのに。」
 

 盛大な溜息と一緒にあからさまな大声。
 俺は無視を決め込む。こういう安い挑発に乗る程、子供ではない。あからさますぎて笑えるけど、笑うと今度はこっちが挑発したことになってしまう。殴るなと言われた手前殴るわけにはいかない。
 きっと、横にいる海藻頭は、まさか精市の「殴っちゃだめだよ」が本気で言われた言葉なんて思ってないんだろう。しかし、俺は殴ると言ったら本当に殴る。部活に出れなくなるのは困るから、ケンカするときはもちろん隠れてやるけど。
 俺があっさりと無視して流してしまったから、また静まりかえる一帯。俺は平気だけど、海藻頭にこの沈黙はたえられないらしい。
 

「弱そー…不良みてぇに口もガラも悪ぃし。」
 

 更に発せられた海藻頭の一言に、俺は怒るどころか可笑しくなってきた。みんなに聞いてたって割には全然分かってない。
 

「かもな」
「な、」
「でも俺が弱いならお前なんて幼稚園児レベルじゃねえの?」
「!!」
 

(あ、しまった。)
 

 挑発になんてのらねえぞ、こっちからもケンカ売らねえぞって思ってたのに、思い切り挑発してしまった。しかも、何だか効果覿面だったっぽい。
 息を呑む音が聞こえたからどんな怒り心頭な貌をしているのかと振り返ってみた。今の一言で多大にプライドを傷つけられたらしい奴は心なしか目が赤くなっている気がする。
 

(…目?)


 何で目が赤くなるんだろう。自分で見ておいて内心首を捻っていると、何処に持っていたのかラケットを鼻先に突きつけられた。鼻にぶつかるか否かの至近距離でぴたりと止まったラケットの向こうにこちらを強く睨み付ける海藻頭。さっきみたいに安い挑発を繰り返してたのと違って、すっかり冷静に考えられなくなってる。
 

「そういう軽口は実際試合して俺に叩きのめされてから言いやがれ。」
 

(おおー、言うねぇ。)
 

 心の中で拍手喝采。
 今まで年下は疎か同年代にだってここまで啖呵を切られたことはなかった。こいつが言うとおり、俺は不良みたいにガラも悪いから、まず初対面でケンカを売るようなケンカ好きはなかなかいないのだ。なんせ健全な中学生だし、俺からケンカは間違っても売らないので。最初からケンカを売ってくるような奴はまず後ろから殴りかかってくるから啖呵は切らない。
 海藻頭の後ろで、精市が弦一郎を伴って帰ってくるのが見える。この光景を見たらきっと吃驚して、この後輩を宥めるだろう。
 

(精市も弦一郎も、蓮二も、後輩に負けちまったって話は聞かねぇし…)
 

 それならやっぱり。俺がコレに負けるなんて有り得ない。
 あと数メートルまで近付いてきた精市が足を止める。やっと自分が立ち去る前と大きく状況が変わってしまったことに気付いたらしい。何せ俺、ラケットを突きつけられちゃってるしね。
 

「切原!」
 

 精市は流石俺との付き合いが長いからよく判ってる。俺じゃなくて、海藻頭の方を止めようとしてる。
 でも、残念。
 弦一郎を引っ張って駆けだした精市を海藻頭が振り返るより早く、俺はラケットを突きつけられたまま口の端を吊り上げた。さぞ、海藻頭にはふてぶてしく、憎らしく映ることだろう。
 

「テメェで俺が叩きのめせるなら、やってみれば?」
 

 だって、どうせムカツクんだもん。売られたケンカなら、買ってやる。

 

 

 十分後。俺はクラブハウスで精市に真正面から険しい顔をされていた。つまり、お説教されていた。
 普段穏やかな分、清市は怒ると怖い。
 

「復帰早々こういうのは感心しないよ、僕は。」
「新入りをいじめるなって?お優しいね幸村さま。」
「違うよ、風邪とはいえ病み上がりでしょうが。」
「お前、世辞でも良いから後輩の為って言ってやれよ…」
 

 即行で否定しやがった。穏やかだけど、白じゃない。むしろこいつって、黒い性格だ。こんななのにブン太達の話に依れば後輩に一番人気の優しい先輩らしい。
 後輩達は精市のこの優しそうな穏やかな外見に騙されてるに違いない。きっとそうだ。騙されてるぞ、みんな。
 俺がぼんやりとあまり関係ないことを考えていても、精市の怒りはいっこうに収まる気配がない。売られたから思わず買っちゃったけど、買っちゃだめだったなあ。精市に怒られることをさっぱり考慮してなかった。病み上がりで、まだ頭の調子が元に戻ってなかったみたいだ。
 

「風邪がぶり返したりしたらどうするの!これ以上僕に心配かけないでよ、試合も近いんだし。」
「…弦一ろぉー」
「この場合はお前が悪い。」
 

 あくまでも精市の方を見ない弦一郎は、迷うことなくあっちの味方に付いた。こいつ、迂闊なこととか無謀なことってしないよな。蓮二やジャッカルがいればまだ何とかなるのに。
 あの後コートで海藻頭に少しも打ち返す切っ掛けを与えず、動く事さえままならないままにゲームを終わらせた。そして、終わったと同時に、俺はそのままラケットを握った恰好で精市に引っ張られてきたのだ。
 引き摺られ様に見えた、負けた後の海藻頭。呆然と座り込んでしまったアレのフォローは誰がしてるのだろう。
 誰でも良いんだけどきっとブン太や仁王なんかだと傷口を抉られる様なフォローになるんだろうな、とか思う。楯突いてきた方が悪いんだけど、そうだとちょっと可哀想かも知れない。ブン太も仁王も人を気遣うってことを知らない。
 

(…って、俺が言っちゃダメか。)
 

「別に切原相手にあそこまで力を出さなくても良いだろうが。」
「だってさ、言われたからには徹底的にやってやろうかな、とか…」
が本気を出すのは僕達くらいで良いんだよ。入部したばっかりの後輩相手じゃ全然手応えもないだろうしそれに、」
「あーあーもう、分かったってば俺が悪かったって!」
 

 最後の切札、らしい、俺は。
 名前ばっかり恰好良いけど、試合もその前の弦一郎達で終わっちゃうから出番もないし、結構退屈なんだなこれが。
 精市のお説教を遮って、俺は仏頂面で両耳を塞いだ。分かり易い抗議のポーズだ。ここまですれば、ちょっとはトーンダウンするだろう。
 

「もしどうしても身体を動かしたいなら氷帝や青学の実力者達と練習試合組んであげるから。」
「え?ヤだよ疲れるし大体俺他校の有名人なんて知らないし。」
「毎回試合で何を見てるんだお前は…」
「ん?そんなの弦一郎達に決まってるじゃんか。」
 

 別に負ける人達見てなくたって強い方見てた方がいいし。強い方を見ながら試合を眺めてた方がためになるだろう、っていうのは俺の持論でしかないけど。ちゃんと全体を見なさいって精市や蓮二は言う。でも、つまんない。
 俺はかなり軽ーく言ってみたつもりだったんだけど、なぜか弦一郎が目を瞠ったまま固まった。ついでに精市から変なオーラが出てる。何やら迂闊なことを言ってしまったらしい。
 


「はい」
 

 笑った精市が怖い。
 

「僕の事も見てるよね?当然。」
「勿論です精市さん。」
「よし」
 

(何が「よし」なんだ…。)
 

 しかしながら、俺の条件反射みたいな一言でも精市は満足したらしい。怖い笑顔を引っ込めて咳払いをひとつ、佇まいを直した精市は首を傾けて笑った。
 何かを言い聞かせる時の彼の癖だ。お説教も最後の大詰めだ。
 そして俺は、この一連の動作と一緒に言い含められるのに非常に弱い。
 

「今度から後輩と遊びたい時にはちゃんと僕に言う事。わかった?。」
 

 俺はぴんと背筋を伸ばして、お行儀良く頷いた。弦一郎は呆れたというか、どうしようもないという風に俺達のやり取りを眺めている。当然ながら、言葉を挟んだりとかそういうことはしない。
 もちろんだ。
 有り得ないけど、もし俺と弦一郎の立場が逆だったとして、精市とお説教されてる弦一郎の間に言葉を挟んだりするような馬鹿な真似はしないし、できない。
 こういう時の精市に逆らえる人がいるなら是非お友達になりたい。

 

 

 

先輩!」
「!?」
 

 次の朝、朝練に行く為コートに向かっていたら、昨日散々聞き慣れた声に耳慣れない呼び方をされた。一瞬頭で考える事を放棄しかけたものの、俺は恐る恐る後ろを振り返る。
 そこにはやはり、出来れば居ないで欲しかった海藻頭が居た。
 何故かものすごい笑顔で。朝っぱらから眩しすぎるし、昨日のイメージから言って酷く似合わない。似合わなすぎて寒気がする。朝の爽やかさな空気が台無しだ。
 駆け寄ってきた海藻頭に、俺は口を開いた。そして、思ったことを正直に心から気持ちを込めて伝えてあげる。
 

「キモイ」
「ひどっ!」
「何なの海藻頭。」
「いえ、昨日はスイマセンっした!俺ココロを入れ替えました先輩の為に!!」
 

 最後は是非とも聞かなかった事にしたい。
 どうしたんだこの変わり様は。俺の目の錯覚でなければ何か俺を見る目がキラキラしてるぞ。
 

「丸井先輩とかジャッカル先輩に昨日あの後沢山話を聞いたんスよ!もう先輩にあんな口死んだって聞かないから先輩も俺のこと好きになってください!」
 

(あいつら…!)
 

 朝練で泣くまでボールぶつけてやる。泣いて謝って土下座したって許してやらない。
 傷口を抉るように慰めるのは勝手だけど、言わなくていいことまで吹き込んでるんじゃねえよ。何てことしてくれたんだ、というか、何を言ったんだ一体。しかも沢山て。
 考えたくないけど、考えてしまう。そして、嫌でも分かってしまう。今この瞬間、俺にはすごい厄介な後輩が出来た。
 

「あ、あともう海藻頭って呼ばないで名前で呼んで欲しいっス。仲直りってことで。」
「何だよその理屈…えー、と。」
 

 海藻頭を目の前に腕を組んで考える。別に、名前で呼んでやる事に異議はないんだけど、
 

 

「…お前の名前って何だっけ?」

 

 

 

 

(040721→加筆・修正080112)
シリーズの名前の理由とか、切原とのファーストコンタクトとか。
何か、すごいケンカっ早い人みたいになっちゃった、主人公(笑)