「先輩先輩先輩!せんぱーい!!」
「来たぞ、。」
「…」
何処か面白がっているような響きのある真田の声に、はそれは嫌そうに眉を寄せた。柳がいつも通りの無表情に、少しだけ楽しそうな色を混ぜて、に向けた。
そんな三者三様を知って知らずか、元気にラケットをぶんぶん振り回しながら駆け寄ってくる
切原。真田でも柳でもなく、迷わず真っ直ぐにの元に駆け寄った切原は満面の笑みを浮かべている。そんな後輩の顔を見ても、の顔は不機嫌の一途を辿る。
「先輩!」
「…今日は何?1年ルーキー君。」
「名前で呼んでくださいって言ってるじゃないっスか〜!!」
一気に不満げになった切原の頭を軽く小突いて、は軽く溜息をつく。
2年生になって入ってきた後輩、その中の一人である彼には何故か異様に好かれてしまっていた。
最初はケンカ一歩手前(と、いうか、ある意味ケンカ同然になった)の険悪なムードが漂っていたというのに、手をひらりと返す気易さで、切原はに懐ききってしまった。
遠くで姿を見かければ場所が何処であろうと、誰が居ようと先程のような大声で自分を呼んで駆け寄ってくる。
駆け寄ってきた後ににまりと笑って抱きついてくることだって、ある。
慕われるのは嬉しい事だが、度が過ぎると恥ずかしいというか何というか。
険悪なのよりは、仲が良い方が部活にも交流にも支障を来さない。でも、これはあまりに度が過ぎていないかと、最近ではも辟易してしまっている。もとより、フレンドリー、和気藹々、なんて可愛らしい交流が大好き!というタイプではないのだ。
取り敢えずもう少し控えめにして頂きたいって感じにはなる。
しかし、後輩である切原はそんな疲れ切ったの心中など全くお構いなしだ。態度は控えめになるどころか激しさを増すばかり。最近では真田たちまでがそれを楽しそうに眺めるようになったから、はたまらない。
「ヤダ。お前呼んだらつけあがるし。っていうか用事は何なの?」
「つれねーっス…」
わざといじけて見せる切原の頭をもう一度、今度は少し力を込めてはたく。
大声を上げて頭を押さえる切原に「オーバーな奴め」と、呆れた視線を送っておいた。
どうせ痛くないに決まっているのだ。だって鬼ではない。ちゃんと、痛くないように加減くらいしている。勿論、切原の方の度が過ぎれば、こちらだって度を超えた報復をしてやるけれども。
とにかく、テニスコート中の視線をかき集めながらを呼び止めたのだから、それなりの用事はあるのだろうと思いたい。それなのに切原は本題に入らずいつまでもうじうじと(にとって)理解しがたい態度ばかり取る。差し迫った用事があるわけではないが、別に時間をいつまでも割いてあげたいと思うほどは切原に献身的ではない。
「用事がないなら…」
「あ、あるっスあるっス!!」
「赤也、早く言わないと本当にが機嫌を損ねるぞ?」
「真田副部長ー…あんまそんなこと言わないでくださいよ。笑えないっス。」
手っ取り早く態度で示すことにした。ぱっと背を向けて
立ち去ろうとすると、大慌てで切原が引き留めてきた。力の加減を全くしないで引っ張るものだから、ジャージの裾が伸びそうになる。
真田が半分揶揄するようにだが助け船も出してくれたので、仕方なく踏みとどまってやる
ことにした。伸びそうなジャージの裾から手を放させて、もう一度振り返って切原を見下ろす。
見下ろした切原は、恥ずかしそうな、嬉しそうな顔でもぞもぞとこう切り出した。
「あのですね、オレ今日誕生日なんですよー」
「そう」
「そうなんです。」
流れる沈黙。
切原が直ぐに耐えきれなくなったようで声を上げた。
「それだけっスか!?」
「…俺の対処は悪かったか?弦一郎。」
「…」
「蓮二。」
「…」
後輩の抗議を受けて真田を見ると彼はつい、と視線を反らしてしまう。
柳にも視線を送ってみたが同様。
その代りに切原本人が地団駄を踏みながらに訴えた。
「悪いっスよ!他にもっとあるでしょう!?」
言われてみて、考えてみる。
暫しの沈黙の後、が掌をポンと拳で叩いて顔を上げた。
「ああ」
「!」
「おめでとー。またひとつ大人になったね。」
表情は無表情に近いそれからほぼ改めず、非常に無情に棒読みで。
「先輩いぃぃぃ〜!!!!!!!!!」
「何でそんなに泣きそうな顔でこっち見るのさ…涙出る程に嬉しかったの?」
「ち、が、い、ま、す!」
どさくさに紛れて抱きつこうとした切原の額を手で押さえてブロックしてから、はもう一度首を傾げる。身長差の所為で額を抑えられた切原は、手をぱたぱたと所在なく動かしながら訳の分からない奇声を発している。
何だ、折角祝ってやったのに。
「弦一郎、今日の1年ルーキー君はオカシイと思う。」
「オカシイって!先輩何てことを!!」
「…お前に対する時の赤也はいつもそんなモンだ。」
「真田副部長も否定してくださいよ!」
「出来る要素がないだろうが。」
その一言で、忙しなく動かしていた手を切原はぴたりと止めた。
本気でショックを受けたらしい。
にしてみれば今更やっと自覚したのか、というくらいだ。今までだってちゃんと嫌がっていたというか、態度で分かり易く示していたはずなのだが。
がっくり項垂れる切原には慰めの言葉はかけなかった。だって、慰める必要がない。
その代わり、切原を押さえていた手を外して、腰に当てた。溜息に似た息を吐き出して、仕方なく言う。
「それで?誕生日だからってオマエは俺にどうして欲しいの。」
「誕生日プレゼントをください。」
ショックを受けていた割には、上目遣いでの問いに即答してくる。
「ダメ。オマエにあげたら他の子にもあげなきゃいけなくなるだろ?」
立海大附属中学のテニス部は強豪だけに、でかい。同好会一歩手前みたいな人数ではないのだ。
後輩に、と誕生日プレゼントを一度あげはじめたら、一体何十人にあげなければいけないか。普通の生活水準の中学生に、あまり無茶を言ってはいけない。お小遣いがいくらあっても足りないではないか。
分かり切ったことを訊くなよ、と顔でありありと語ったに、切原は違う違うと両手を振った。
「特別、っスよー。」
「あ?」
「俺だって別に真田副部長とかから何かもらおうって思ってないっス。だってほら、
…先輩だから。」
ドガッ
「ホホを染めるな、気色悪い。」
「…ってー!!!!!先輩ラケットは反則ー!!」
うふっ、と頬を染めて上目遣いで、思いっきりかわいこぶった切原に、は即座に脳天目掛けてラケットを振り落とした。
本当に、頭で考えたと言うよりは条件反射だ。身体が先ず「気持ち悪い!」と拒絶反応を起こしたようだ。
切原はいつもの力を伴った反応にはまだ逞しくいられるが、ラケットがいきなり頭に直撃してはたまらない。頭を抱えて踞ってしまう。
それなりのテニス歴と実力が伴ったのラケットだから、そこそこ金の掛けられた軽量化されたラケットだ。もちろん、手加減だって無意識とはいえされているだろう。ただ、そうやっていくら理由をこじつけようが、痛いものは痛い。
これには流石の真田も痛さが想像できてしまうのか、切原が踞ったのと同じタイミングで「うっ」と低いうめき声を漏らした。
「ふ、む。」
悶絶する切原よりも、振り下ろした自分のラケットを心配しながらはコキコキと首をならした。
指でラケットのラウンドした部分をなぞって、へこんだりしていないか確認する。へこんでいたら、それこそ切原の頭の方が心配なのだが、無論、はラケットの方を気にかけている。どうやら、ラケットは無事らしい。
ラケットの無事を確認してから、軽く素振りをすると、はひとつ頷いた。真田ほどあからさまな反応は見せず、表面上はいつもと変わらない
柳からボールをひとつ受け取る。そうして何も言わずに、コートの方へと歩き始めた。
その後ろ姿に、漸く復活した切原が慌てて声を掛ける。
「せんぱ…」
「赤也」
「!」
に呼ばれた、紛れもない自分の名前に、ぱっと顔を輝かせる。名前ひとつ呼ぶだけで、ラケットで頭を叩かれるなんて、暴力同然のことも許せてしまうらしい。
それを見ていた弦一郎が隠さずげんなりとした顔を見せた。飴と鞭だ、なんて、思ったのは言わないだけでみんな分かっているだろう。本人達が、何も気にしていないだけで。
「試合で俺に勝てたら好きなモンやるよ。」
「マジっスか!?」
「ああ。」
愛用のラケットを手に、切原はまさに踊るようにの後に続く。散歩に行くご主人様を追いかける犬の如く。
やや脱力気味にふたりの後ろ姿を見送った真田が、ぽつりと柳に尋ねる。
「勝てると思うか?」
「無理だな。」
「だろうな…も分かって言ってるんだろう。」
恐らく切原とて、今の実力ではに負ける事など分かり切っているのであろう
。何せ半年前の入部当初、完膚無きまでに叩きのめされたのも記憶に新しい。あれから部活や試合で力をつけていっているとはいえ、それであっさり追い越せるほど、は甘い先輩ではない。
しかしそれであっても。
話し掛けるために一度振り向いたは無邪気に笑っていたし。
追いかける切原も、それはそれは嬉しそうだったし。
「取り敢えず誕生日祝いにはなった訳か…?」 |