Zucker

 

 試合中も構わずガムを噛んでいるし、鞄の中には飴玉ばっかり入ってるし、「精市に」と誰かが持って行ったはずのケーキは 当然のように持って帰っちゃうし。あれで太らないのは絶対部活のお陰だと俺は思っている。
 いや、本当はもう部活の恩恵も受けられない状態までいっちゃっているかも知れない。いわゆる、手遅れってやつ。一見細そうに見えるけど、実はあのジャージを脱ぐと、どーんと、
 

「なーに考えてるの?」
 

 どーんと、背中が一気に重くなった。
 ふんわり甘いにおいに、軽薄そうな、はたまた甘えているような喋り方。ブン太がのし掛かってきたのだ、振り向いて確かめる必要もない。
 放課後の教室は、運動部の大会も近づいてる所為もあって人も疎らだ。かくいう俺も、今から部活に行こうと思ってたんだが。
 

「ブン、重い!」
「俺重くないー」
「当たり前だろうが!!」
 

 声を張り上げると、気の抜ける明るい声で笑いやがる。この野郎。
 ブン太は重くない。なぜか太ってない。とは言え、中学生の育ち盛りの男子なのだ。椅子に座ったままのし掛かられたら、こっちは足で踏ん張れないのだから重いに決まってる。ぎゅうぎゅうと抱きつくようなのし掛かり方だから、尚更だ。
 

「ね、部活行こうよ。」
「別に言われなくても行くよ。」
 

 行こうよ、なんて口で言う割に、全然背中の重みは無くならない。寧ろ、益々体重をかけられてる気がするんだが。
 ブン太が喋るといちいち甘い香りが鼻腔をくすぐる。またこいつ学校に菓子持ってきて見境無く食ってるな。
 弦一郎が、限度を超えた菓子を見る度に眉間にしわを一本ずつ増やすんだ。没収したってまだまだいろんな所に隠し持ってるから、意味がない。怒ったって右から左へ怒声は流れ出てしまう。だから、もう怒ることも諦めてしまった代わりに、内に溜め込むからそれがしわになって現れるって訳だ。
 しかし、別にブン太のいつでもどこでも食べてる姿にうんざりしてるのは弦一郎だけじゃない。いつの間にか俺の顔も自覚できるくらいには険しくなっていた。
 

「甘い」
「んー?」
「喋るな、甘い。」
 

 正直言って俺は、甘いモノはあんまり好きじゃない。一部、例外に大好きだったりするモノがあるし、あったら普通に食べる。でも、好きか嫌いかで言えば好きじゃない。正直、今だってこの甘い香りだけで胸もお腹も一杯、だ。
 

「甘いのいいじゃん。」
「よかねぇよ」
 

 あまりの甘さにさっきから気分が悪くなりそうだ。部活に支障を来したらどうしてくれる。
 いつまで経っても俺を解放する気配はないし、さっさと立ち上がって置いていってしまいたい衝動に駆られる。けど、無理に立ち上がったらブン太が椅子に引っかかったりして痛いかも知れない。
 

は訳わかんないなぁ」
 

 もんもんと考えていたら、笑いを含んだ声でそんな言葉が降ってきた。同じタイミングで首に回されていた腕が外される。
 やっと自由に回るようになった首で隣を見れば、ブン太が椅子に腰掛けるところだった。思った通り、何が楽しいんだかへらへら笑ってる。
 そもそも座ってどうするんだ。今から部活だってお互い言ってるのに。
 

「俺はお前が訳わかんねぇ」
「あ、ひどい。」
 

 人好きの笑みを浮かべたままのブン太は、俺の率直すぎる言葉に何を思ったのかいまいちよく判らない。風船ガムを膨らませたり引っ込めたりしている。
 脳天気そうな顔だけど、これでもブン太は立海のレギュラーだ。ボレーの天才、なんて他校の奴等から噂されたり憧れられたりしてる。顔も女子曰く「可愛い」らしくて人気もある。勉強も、飛び抜けて良くはないけど悪くもない。これと言った欠点が見つからない。要するに、いろいろと恵まれた奴だ。
 でも俺にとっては四六時中甘味ばっか食ってる甘味大魔王だ。何でか俺の心の中で考えてることまで見透かしてくる、厄介で甘ったるい大魔王。
 

「…人の悪口考えてるっしょ?」
「……」
「ま、いいんだけどね。だから許しちゃう。」
 

 天才的ー、とか付け足す。それはどう考えても天才的の使い方を間違ってると思うんだがこいつに言うだけ無駄なんだろう。
 

「で、何が訳分かんないんだよ、結局。」
「ん?甘いのが良くないって話。」
 

 ふと、ブン太が俺の指に自分のそれを絡めてきた。華奢で繊細な指。俺よりも、体温が高い。
 俺と言えば、まさかそう来るとは思わず反応が遅れてしまった。逃げるにはもう既に捕まってしまっているし、やんわりと絡んでいるだけなのに、何故か指に力が入らない。呆然と、されるがままだ。ブン太は俺が何も出来ないのを知っているのか、そのまま、絡め取った手を自分の口元へと寄せる。
 

「こんなに」
 

 声を潜めて喋られると、息がかかってくすぐったい。カッ、と頬に一気に血が集まってきた。
 よくよく考えたら、この態勢っておかしくないか。いくら、放課後で教室には誰も居ないからって。教室に誰も居なくたって、廊下は誰か通りかかったって全然おかしくないのに。
 急に気恥ずかしくなって手を引っ込めようと思ったけれど、ブン太がそれを許さない。この細身のどこにこんな力があるっていうんだ。
 

「こんなに、自体甘いのに。苦手って、訳分かんないと思わない?」
「俺が…?」
「そ」
 

 変な顔でもしてたんだろうか、聞き返す俺にブン太がおかしそうに笑った。
 

は、丸ごと砂糖みたい。」
 

 丸ごとって、コイツは自分よりも数センチ、目に見えて身長高い俺に何を言うんだ。
 可愛い女の子に言ったりするなら分かる。当の本人、いつも甘い香りばかりをまき散らすブン太に「砂糖だ」って言うのも、まだ分かる。だけど、俺はないだろう、俺は。
 何を言ってもなかなかブン太は引き下がらないから、顔に出そうと思い切りしかめ面をしてやった。でもブン太は軽く笑ってあっさりといなしてしまった。
 

「そんな顔したって無駄だって。…砂糖みたいななんだから俺が好きになっちゃっても仕方ないでしょ?」
「…俺に言うなよ。」
「だって、真田達に言ったら同意貰えるの通り越して怒られちゃうし。」
 

 その口からは、俺には理解できない様な言葉がぽんぽん出てくる。本当は、理解したくなくて頭のどこかで言葉を堰き止めてしまうのかも知れないけど。
 絡めた指はそのままに、ブン太が椅子から立ち上がった。俺は座ったままだったから見下ろされる形になる。その目からは、何にも読み取れなかった。これが、テニスの試合なら、次の手や動き方くらいそこそこ読めてしまうのに。
 

「部活行こ?」
 

 言って、ぷぅ、と風船ガムを膨らませた。相変わらず微かに薫る甘い香り。
 顔でありありと訳がわからないんだって、言ってるのに、俺が砂糖云々の話はもうお終いらしい。頭の中でぐるぐる、言ってやりたい言葉が渦を巻く。
 

(この甘味大魔王め。)
 

 だけど結局何を言い返す気にもなれなくて、俺は鞄とテニスバッグを空いた片手に持ち席を立った。
 もしかしたら、今追求したらちゃんと答えてくれるのかも知れないと思わない訳じゃない。けど、訊く気にもなれず、知りたいとも思えなかった。答えを聞いたところできっと自分の理解の範疇を越えてしまっているんだろう、と、頭のどこかが言う。
 繋いだ指は、未だ離されない。他の奴等が見たら何て言うだろう、とか思う。テニスコートまでこのままなら、本当に、みんなに見られてしまうのに。
 何も言う気になれないけれど、でも、もし俺がそれを言ったなら。
 それでも良いって、ブン太はきっと笑うんだろう。俺に理解しがたい嬉しそうな笑顔で、甘い香りを漂わせながら。

 

 

 

 

(031013→加筆・修正080113)
焦らない、追い詰めない。
でも、自覚なんてしてないのに、確実に追い詰められてる。