今日の敵は、明日もきっと敵

 

 新人戦の会場で、一試合終えた俺は次の対戦相手に決まった立海大附属中学用のオーダーを練っていた。所用で移動中だが、足はせっせと動かしながら頭の中では目まぐるしく立海の選手とうちの選手を比較中だ。隣では、同じ所に用事がある忍足が少し遅れ気味にのんびりついてきている。
 負ける気なんてさらさらないが、立海は強いから気を抜いてはいけない。俺が部長になってからの初めての大仕事なわけだ。完膚無きまでに叩きのめすため、隙のない人選をしなければ。
 そう、考え込んで歩いていたのがいけなかったのだろうか。
 

「跡部、前っ!」
「あ?……!!」
 

 忍足が焦った声で呼び止めてくれたときには既に遅かった。
 俺は直ぐ眼前に迫ってきていた人物と、まともにぶつかってしまった。しかも身長が同じくらいだったらしく、額と額をかち合わせてしまったらしい。一瞬だが、目の前に火花が散った気がする。
 数歩退いてからぶつけた額をさする。尻餅をついたりとか、蹌踉けたりとかそういう格好悪いことはしない。どんなに痛くたって、醜態は俺のプライドが許さないからだ。
 少し余裕が出来てから視線を上げると、俺とぶつかった相手も同様に額をしきりにさすっていた。相手だって相当痛いだろう。
 

「いってぇ……」
 

 運が悪いというか、こんな時に限ってぶつかった相手のジャージは立海のものだ。どことなくワイルドな出で立ちだ。まあ、正直に言ってしまえばガラが悪い。こんな生徒は、俺らの氷帝では先ずお目にかかれない。
 余計な騒動は起こさない方が良い。ここは大人しく謝ってやろうかと思った瞬間、鋭い目つきで睨まれた。
 

「何処見て歩いてんだ!避けろよ!!」
「……何だと?」
「危ねぇじゃねーか!!」
 

 確かに考え事をしていた俺も悪い、それは認める。
 が、それはお前だって一緒だろうが。外見と同じく、中身もガラが悪く出来てるらしい。立海が不良の溜まり場だったとは初めて聞いた。
 こいつはこういうガラの悪いやつなんだ、不良なんだ。相手にするだけ無駄だ。と、思いつつ、それでも口の端がぴくり引きつるのを感じた。
 

「…今の台詞そっくりそのままお前に返してやる。」
「あ!?」
「ちょ、ちょお!待てって!!」
「五月蝿ぇぞ忍足、黙ってろ。」
 

 額に青筋が立ちそうな程にいきり立つ相手を見て慌てる忍足。でも、もう何を言われても前言を撤回する意思はない。
 俺は怒ってんだ。そう簡単に許してやってたまるか。外見やちょっとした言葉の脅しにびびる俺様じゃねえんだ。
 忍足を黙らせた俺に向かって、奴は近付いてきた。息が掛かるくらいまで、さっきぶつけたばかりの額を付き合わせる。雰囲気や身体全体で手のかかる感じを醸し出してはいるが、間近で見る顔立ちはあどけない。それが何だか意外だった。
 睨まれているにも拘わらず、頭の半分くらいでこうやって別のことを考えてしまうのもこいつの顔立ちの所為だ。なぜか、そう、微妙に憎めない顔をしているのだ。
 

「何様だよテメェ…」
 

 まあ、でてくる言葉はまるきり不良のそれだが。
 

「俺様の事が知りたければお前から名乗って謝れ。土下座しろ。」
「誰がっ!」
 

 鼻で笑ってやると、思った通りに怒り出した。簡単な挑発にも直ぐのる奴だ、情けない。
 まあ、俺としても怒っているのは本当だから、名乗って謝りながら土下座くらいしてもらわなきゃ腹の虫が治まらない。謝れば許してやる、しかも俺のことも教えてやるっていうんだから、すごく寛大な処置だと思うがな。
 

「ふん、次の対戦相手がこんなバカっぽいやつなら勝ったも同然だ。」
「バカとは何……」
 

 俺が次の挑発を仕掛けると、やっぱり相手はのってくる。が、言葉の途中で瞬きして動きを止めた。目がくりくりと忙しなく動く。首を左右に何度も捻って、口を歪めた。
 

「次の対戦相手…?……おたくら氷帝?」
「は?」
 

 さっきまでの怒りが嘘の様にきょとんとしてしまっている奴は、俺達を見て大きく首を傾ぐ。
 奴の言葉を何度か頭の中でリピートしてみた。そうして、とびきり嫌な予感に思い当たる。
 もしかしてコイツ、今の今まで俺達が氷帝だって判らなかったのか?
 

(思い切りジャージ着てるじゃねぇか!)
 

 横で慌てていた忍足を伺えば、やつもあんぐりと口を開けている。そりゃ、そうだろう。会場に来れば、まずジャージを見ればどこの学校か分かる。微妙にかぶってたり、弱小校じゃ違いも分かり難かったり覚えてなかったりもするだろう。でも、こっちは氷帝だ。
 ベスト4の常連校。もちろん、他の学校とかぶるような安っぽいジャージでもない。同じ様な立海のことは、こっちは一目で分かったのに、目の前のコイツは俺が次の対戦相手だと言って初めて氷帝の生徒だと知ったらしい。どれだけ人に興味がないんだ。
 

「自分もしかして、跡部のことも俺のことも判らへんの?」
「あとべ…?うーん。」
 

 思わず固まってしまった俺の後ろから、おずおずと問いかけた忍足の言葉に奴はもう一度瞬きを繰り返した。忍足に一度視線をくれてから「あとべあとべ」と、俺の名前を何度か反芻する。
 そうして、あ、と手を打った。何か思い出したらしい。
 その様子に、俺はひっそりと安堵する。俺のことを知らないなんて、都内のテニス中学生じゃない。
 

「そう言えば弦一郎が何か言ってた様な気がしないでもねぇな。」
「…」
 

 何か、もなにも。
 自慢じゃないが、俺も忍足も去年の新人戦からそれなりに注目されてるんだ。俺だって、他校の注目されてる選手はしっかりおさえてる。他の奴らだって、それが普通だと思っていた。
 

「あ、ちなみに後ろの人は全く分かんないよ?名前聞きゃあ分かるかも知んねぇけど。」
「マジでか…」
 

 後ろを振り返った訳じゃないから表情まで見えないが、声だけ聞いていても忍足がそこそこショックを受けているのが分かる。俺と同じ様なことを考えているんだろう。
 

「はーん。なるほどねー、なるほど。」
 

 俺達の心中なんて全く察していない奴は、ひとり、うんうんと頷いている。他の奴から聞いた評判と、目の前の実際の俺達とを結びつけている真っ最中なんだろう。
 その様子を見ていたら何だかこちらの怒気まで殺がれてしまった。
 深く溜息をつく。
 

「…お前、名前は?」

 

 今度はあっさりと名乗っては俺を見、不敵に笑った。その笑みは下手をすれば相手を挑発するだけの笑みだったが、がやるとまた別の印象も受ける。
 言い方がおかしいが魅力的、なのだろう。
 証拠に横の忍足もすっかり興味を持った様子だ。俺の隣までやって来て、頭から爪先までを眺めている。
 立海のジャージは、今更だがよく馴染んでいた。身体つきといい、よく見れば左手に持ってるラケットといい、それなりにテニスの実力はあるようにも見える。ただ、という選手は聞いたことがなかった。忍足だって知らないだろう。知っていたら奴の性格だ、ちゃんとフォローを入れたに違いない。
 

「ん?俺のこと気にしてたらおたくら負けちゃうぜ?」
 

 ふと、あからさますぎる視線に気付いたのかが苦笑した。
 

「?」
「俺、試合に出ねーもん。」
 

 そして、あっさりと手の内をばらしやがった。俺達は絶句してしまう。ああそうなのか、なんて図太いことは言えない。
 こんなんで大丈夫なのか、こいつも立海も。
 

「何だ、態度はデカイが弱いのか。」
「あはは、違うって!…あ、いや、おたくらがどれくらいか知らないからわかんないけど、多分そんなに弱くないんじゃない?俺。」
「いや、俺らに言われたかて、答えられへんよ…。」
 

 初めはあんなに血が上りやすかったのに、もうちょっとした挑発にも乗らない。その代わり、よく判らないことをつらつらと言う。忍足だって、ツッコミのひとつやふたつ入れてしまうだろう。ただのガラの悪い不良かと思ったら、とんだ天然だ。
 最初感じた苛立ちや怒りはもう消え失せたが、今度は興味がどんどんわいてくる。こういうタイプは、俺の周りには今まで居なかったからかも知れない。テニス部なのは間違いないみたいだから、その実力も気になる。どういうテニスをするんだろう、とか、どういう奴なんだろう、とか。頭の中で聞いてみたいことが浮かんでは消える。
 それなのに、はひらひら手を振ってからあっさりと俺達に背を向けた。俺は、はっと我に返って声を上げる。
 

「おい、話は未だ終わってねぇぞ?」
「俺、最後の最後用なのよん。」
「何言って…」
「あんまりもたもたしてっと怒られちゃうから帰る。」
 

 しかし振り向くことなく、はさっさと来た道を帰っていった。一体ここまでは何をしに来ていたんだろう。俺達の向こうに用事はないんだろうか。どんどん小さくなっていくの背中を唖然として見送ってしまう。
 場には、煙に巻かれた様な俺と忍足だけが取り残された。
 

(「最後の最後」だ?)
 

 何だそれは。説明くらい、ちゃんと終わらせてから行けばいいのに。
 追いかけることもせず、何でかすっきりした顔の忍足は頭の後ろで手を組んだ。「あーあ、行ってもうた」と溜息混じりに呟いて笑う。
 

「何かおもろい子やったなぁ…最初は跡部に似てるだけか思たけど。」
「どういう意味だよ。」
 

 凄んでみても忍足はひょいと肩を竦めただけだった。俺もそれ以上何も言う気にもなれず、歩みを再開させる。忍足も、また一歩遅れてついてきた。
 何も、と会うまでと変わらない。
 あのおかしなやり取りだけだと、まるで白昼夢か何かかとさえ思えてくる。それくらいに、不可思議なやりとりだった。
 ただ、俺の頭の中を占めるのはさっきまで考えていたオーダー表じゃない。
 

…)
 

 次会ったら何が何でも全部吐かしてやる。俺の聞きたいことに答えるまで放してやるものか。
 

(覚悟、しろよ。)
 

 宿命のライバルにでも会ったようだ。実際、ライバルも何も、俺はのテニスすら見たことがない。今まで全く知らない奴だったのだ。
 でも俺は、ひとりでに口元が緩むのを押さえられなかった。

 

 

 

 

(080114)
べー様一目惚れ(違)
しっかし、本当に、ガラの悪い主人公になっちゃったなあ。
…こんな筈では(笑)