友情<好奇心

 

 まずい高級プロテインは本当に、しかも相当まずいらしい。
 

「だいじょ、ぶ…?」
「……」
 

 普段あれだけ喋る田島が一言も発しない。それだけで、どれだけ不味いのか十二分に分かったような気がする。俺もあれだけは絶対手を出さないようにしよう。
 

「ジュース買ってきてやるよ、な?だからもちょっとガマンしろ。」
 

 踞ったままの田島の背中を何度か撫でて、必死に頷いたのを確認してから立ち上がった。梓を見れば仕方ない、と言う顔をして肩を竦めている。
 何だよその顔は、と少し思ったけれど敢えて口には出さなかった。
 ただ、梓がこのくそ不味い(らしい)プロテインを飲んでもジュースは買ってきてやらない、と心に強く誓う。
 俺は元々バスケ部で、ここにはオマケで来たようなものだ。別にこのまま武蔵野を見ていたって、損はしなくても得になることだってない。スタンドから階段へと移動して、来た時に見かけたはずの自販機を探すことにした。
 

「あ」
 

 みんなと話ながら適当に周りを見ていたから、思ったより自販機を見つけるのに時間がかかった。それなりにうろうろした先にやっと自販機を見つけて、俺は嬉しくなって駆け寄った。
 嬉しくて、待ってろよ田島とそればっかり考えていたので気付かなかった。
 

「いっ…!」
「わっ!?」
 

 駆け寄って、硬貨投入口に手をついた瞬間、思い切り堅いものに頭をぶつけた。頭を押さえて踞る。どうやら人の肩口に頭をぶつけたらしかった。俺は少し身長は低めだし、頭が下がりがちだったからモロに入ってしまったみたいだ。
 一瞬まぶたの裏に星が見えた気がする。すごく痛い。
 

「…ず、いませ…」
 

 でも、俺がこれだけ痛いなら、相手だって不意打ちで痛かったはずだ。俺が頭で相手は肩口と言っても、骨張ったところに物が当たるのだって痛いだろう。
 相手が俺以上に重傷だったらどうしよう。それに、もし怖い人だったりしてこんな所で喧嘩に発展したら、野球部はもちろん自分の所属してるバスケ部にも、さらには西浦そのものにも迷惑を掛けてしまうかも知れない。
 いろんな悪い想像が一気に頭の中を駆け回って、ちょっと背筋が寒くなった。俺は痛む頭を押さえながら何とか身体を持ち上げて、ぶつかった相手に謝った。
 

「だい、じょぶで…すか?」
 

 目がつーんと痛くなる。ああ、この視界がぼやける原因は自分の涙か?立ち上がった拍子にふらついた俺は今度は自販機に身体をぶつけそうになった。
 

「…お前こそ大丈夫?」
 

 それを防いでくれたのは、どうやらその謝った相手その人であるらしかった。肩をがっちりと支えられて、まだぼやける目で見上げれば、精悍な顔立ちの男が映る。俺は何度か頷いて当てていた手を離して貰うと一歩後ろへと下がる。
 着ているのは野球部のユニフォーム。書いてある文字は「春日部」。どうやらうちの学校の野球部のように武蔵野の試合を見に来た人らしい。
 

「大丈夫です…あ、あの、肩…」
 

 もし三橋みたいにピッチャーとか肩が大切なポジションの人だったらどうしよう。慰謝料とか請求されてしまったらどうしよう。俺、そんなに金持ってない。
 俺は家に電話しなきゃとか、それとも百枝監督に正直に打ち明けるべきかとか、いろんなことをぐるぐると考えた。でも、ぐるぐるしている俺をよそに、意に反してその人はふと笑う。
 

「全然平気。寧ろお前の方が痛そうだぜ?」
「あ、うん、痛い…」
「そうだろ。たんこぶとかできてねーか?」
 

 ズキズキ疼く頭に、唐突にその人が触れてきた。吃驚したのと、触られたのがダイレクトに痛い場所だったのとが相俟って、
 

「ふぎゃっ!」
 

 猫が尻尾を踏まれたようなおかしな悲鳴を上げてしまった。しんと静まりかえって、人通りも少ないところだったから俺の悲鳴はすごく辺り一帯に響いた。
 痛さとは別に、カーッっと顔が熱くなる。こんな恥ずかしい状態、高校入ってから初めてじゃないだろうか。
 目の前の人は少し目を瞠ってから、俺の頭に触れていない方の手で口元を覆う。笑いたいけれど、痛そうな俺を目の前に笑うのは失礼だとかそう言うことだろうか。
 

「悪い…でもこれ、少し腫れるかもな。そうだ、俺達の…」
「涼!」
「?」
 

 彼の後方から、喋り掛けられているのとよく似た声が聞こえた。背の高い彼から、さらに向こうへと顔を向ければよく似た顔の人がもう一人走ってくる。俺がぶつかった方の人がその人を振り返って片手を上げた。
 それを見て、向こうの人がどんどんと近付いてくる。そうして傍までやって来て、ちらりとふたりは視線を合わせた。近付いてきた方の人が俺をじっと見下ろす。
 髪の色が微妙に違うけど同じ顔。何か、頭がこんがらがりそうだ。
 

「誰?」
「俺の肩にぶつかったんだ…こぶになるかも知れないから冷やしてやらないとと思って。」
「あー…確かに痛そうな。」
 

 涼、と呼んだのは俺がぶつかった人の名前だろうか。ズキズキとした痛みを少し向こうへと追いやって、俺はまじまじとふたりを見上げる。
 

「お前、どこの学校?」
「に、西浦…」
「野球部?」
「や、俺は違くて、くっついてきただけでその…」
 

 交互にふたりは話しかけてくる。よく似た声だから、ぼーっとしていると、どちらに話しかけられたのか段々と分からなくなっていくような気がする。
 しかも、こうしている間も、俺の頭に涼と呼ばれた人の手が添えられっぱなしだ。なんだか、急に気恥ずかしくなってきた。なんとかしなければ、と思って、俺はふたりの質問が止まったのを見計らって、声を上げた。
 

「あ、の!」
「?」
「手」
「あー、痛かったか?」
 

 痛くはないけど恥ずかしいんです、とは言えず、俺は曖昧な返事をしてお茶を濁す。しかし彼は深く追求することなく、俺の頭からあっさり手を離してくれた。後から来た方の人が、俺と涼さんを交互に見やる。
 

「で、涼。手当てしてやるのか?」
「ん、痛そうだし…葵は反対か?」
「別にいいんじゃねぇの。」
 

 本当にコイツ、痛そうだし。
 俺を指さしながら涼さんを見るもうひとりの人は、どうやら葵というらしい。ぼんやりと、俺はそっくりなふたりを交互に見やる。
 涼さんはそうかと頷いて、葵さんから俺に顔を向けた。
 こうやってふたりからまじまじと見つめられると、交互に見るよりもっと似ているのが分かる。これは、やっぱり兄弟ではなくて双子というやつなのだろうか。一卵性双生児ってやつだ。
 

「直ぐ近くで観戦してるからちょっと寄ってけ。」
「あ、はい。」
「名前は?」
、です。」
 

 話しかけてくれた涼さんを向いて答えれば、次に話しかけてくるのは葵さんの方。俺が名乗れば、今度はふたりが同時に頷いた。
 

「涼さん、で、葵さんですよね?」
 

 名を呼ぶときにそれぞれの方を見て確認してみれば、ふたりは疎らに頷いた。聞き間違いもしてなかったし、ふたりの位置はまだ一度も入れ替わっていないから俺はあっさりとふたりの名前を間違わないで確認することができた。
 内心ほっとしていると、葵さんの方が少し笑った。見透かしているかのように、いたずらっぽい笑顔だ。
 

「別に見分けつかなくても怒らねーから気軽にしとけばいいぜ?初対面だもんな。」
「大丈夫です!一度確認できたから、もうあんまり間違えないと思うんで…」
 

 元から俺は、人の顔を覚えるのが嫌いではない。100パーセントかと言われると首を縦に振る勇気はないが、もうじっくり見てから判断すれば間違うこともないだろう。それにいくら双子で顔が似てて、間違われることになれていたって、やっぱり間違われない方が気分もいいに違いない。
 俺の言葉に、ふたりはふぅんと揃って顔を見合わせた。何だ何だと首を捻るより早く、俺の両脇にふたりが並ぶ。
 

「来いよ、こっち。」
「涼は強肩だからな、痛かったろ?」
 

 そしてふたり揃って俺の腕を引っ張ると、春日部市立の人達が居るであろうスタンドの方へと歩き出した。引き摺られているようになって、慌てて足を動かし始めた俺は、ふと後ろを振り返った。
 遠ざかる自販機に、田島の顔がダブって見えた。そういえば俺がここまで来たのは、彼のためにジュースを買いに来たからじゃなかったか。
 田島はまだ不味いプロテインが尾を引いているんだろうか。俺の買ってくるジュースを心待ちにしてるかも知れない。俺が出かけに声をかけたときも、必死に頷いていたし。
 

「どーした、痛いか?」
「! や、さっきよりだいぶ平気…」
 

 押し黙ったら涼さんに問いかけられた。気を悪くさせてはいけない、と咄嗟に答えたら、「そうか良かった」と彼は再び歩く方を見る。
 俺の頭上では、涼さんと葵さんの妙に上機嫌なやり取りが始まった。時々思いついたように話を振られるから、俺も慌てて相槌を打ったり、頷いたりした。
 そうこうしている間にも、どんどん足は進んでいくわけで。完璧に、彼らと共に行くことを断る口実がなくなってしまった気がする。
 

(すまん、田島。許せ。)
 

 まぁ、きっと、武蔵野見るのに忙しいよな。田島には後でジュース2本買って詫び入れりゃどうにかなるよな。言い訳がましく考えて、最後に心の中でひっそりと田島に謝った。そして、両腕を引っ張られるままに春日部市立の野球部が居る方へと足を進めてく。
 そこでスタンドを埋め尽くす野球部員の数の多さに圧倒されてぽかんと大口を開けるのはまた別の話だ。

 

 

 

 

(050124→090208)
一部加筆、修正して再アップです。
これは単行本で双子が出て来て直ぐに書いたので…3巻の頃かな?
たった数ページの出番で書いてしまうなんて、どれだけフライングだ!とその時は思ったもんですが。
その頃は名字が分からなかった双子ですが、どうやら鈴木っていうらしいですね。えらい普通!(笑)