Rock'n roll missing

 

「ゲホッ…ゴホ……あ゛ーーーー…づれぇ……」
 

 喉をさすって、鼻をすすった。1週間目に突入したこの風邪は、いい加減辛い。薬も毎日飲んでるしうがいもするのに憎たらしい事に治るどころか酷くなる始末。
 不幸中の幸いは鍵盤を叩くのに喉は要らないと言う事だ。ヴォーカルは喉が命、ピアニストは指が命。
 

「大丈夫ー?君。早く治してよね?」
「あ゛ーい。」
 

 スタッフのひとりが苦笑いしながら言うので、鼻をすすりながら片手を挙げた。すると、彼は耳を塞ぐフリをしながら肩を竦める。
 

「あーあー折角の甘い声が台無しだねそれじゃあ。」
 

 うるさいよ、と口パクで言ってパンチの真似をしながら拳を出す。彼は他のスタッフと共に笑いながら手を振って離れていった。
 俺は風邪っぴきの立場ながらここから夜の街を単独行動だ。相変わらず耳障りな咳を繰り返しながら人並みに逆らう様にして歩く。辿り着くのは地下へ続く階段。ライブハウスの入り口だ。ダウンジャケットのポケットから握りしめたまま拳を出した。手の中には少しくしゃくしゃになってしまっているチケットが1枚。
 

(おもしろいのかねぇ…)
 

 最近ロックンロールなんてジャンルとはとんと縁がない。自分はジャズというジャンルでピアノを気儘に弾いているだけだ。テレビで散々言われる様な有名所だったらまだ分かるが、インディーズともなれば尚更の事。それでもいろんな所以で手の中にチケットはある訳だから行ってみようという話。
 派手な恰好のお姉ちゃん達を掻き分けながら、俺は階段を一歩下りた。

 

 

 

 数時間後、漸く地上に出てきた俺はライブハウスに入る前よりも随分疲労困憊していた。覚束無い足許で、近くの電柱に寄りかかる。
 

(駄目だ…めっちゃ駄目だ…)
 

 体調の悪い時にロックなんて聴くモンじゃないと言う事がよく判った。
 ライブ自体は悪くなかったのだが、如何せん体調が良くなかった。ガンガンとなり続ける頭を押さえてその場にずるずるとしゃがみ込む。誰が何を歌ったのか、それらがどんな雰囲気だったのか、それすら全く覚えちゃいない。
 

「ゲフッ…」
 

 思わず咳き込んで口元を押さえた。はっきりいってライブハウスの中の空気は溜まったモンじゃなかった。喉がちくちくしたと思ったら咳が止まらなくなってしまう。これじゃあ無事に家まで帰れるかどうかすら危ないではないか。バックパックに入れていた烏龍茶を取り出して口に含むと目頭を押さえた。
 

(ヤッベェですか…これ。)
 

 こんな繁華街でこのまま朝を迎えようという程自分も無茶じゃない。どうにか家まで帰らなければ。
 暫く笑い物になる事覚悟で数時間前に別れたスタッフ達に連絡を取ろうか。
 

「大丈夫ですか?」
「?」
 

 バックパックを探っている所に頭上から声。見上げれば金髪で今時そうなお兄さんが俺を覗き込んでいた。お兄さんって言っても、俺と同じか年下くらいだろうけど。全くの初対面のハズなのにすごく心配そうな顔をするので俺は慌てて立ち上がった。
 

「えっと……っ、ゲホッ…ブッ!」
「! あ、あの…」
 

 喋りかけた瞬間、思いきり咳き込んでしまって、目の前の彼は面食らってしまった様だ。手を伸ばし掛けてくる彼に、噎せながら片手で制する。ひとしきりむせて、思わず潤んだ視界で漸く前を向いた。
 喉から血反吐でも出そうな気分だったぞ、今。
 鼻をすすってから、少し深呼吸をして、改めて口を開く。
 

「すんま゛せ…ちょっと噎せただけで。」
「ひどい鼻声ですね。」
「あ゛ー…そうかも。」
 

 自分では自覚がないのだが、喉を痛めてしまってから会う人皆に言われる。初対面の人にまで言われてしまうと相当酷いんだな、なんて今更ながらに自覚してしまう。
 

「歩ける?」
 

 彼は彼で、俺をあまり年が離れていないと判断したのか少しフランクになった口調で問うてくる。チクチクキリキリとする喉を押さえて、頷いた。いざとなったら友人達に連絡を取ればいいから、大丈夫だろう。少し安心した様な顔で、彼は「それなら」と身体の向きを変え小走りに去っていった。
 

(善い人だったなぁ…)
 

 駆け寄る先は数人の団体だ。微かにアフロとかも見える。人を待たせて見ず知らずの俺の所に来てくれたんだから何て親切な人だろう。
 

(ニッポンも捨てたモンじゃあないね。)
 

 心の中で立ち去る団体さんに手を合わせて、俺は取りだした携帯で電話をかけ始めた。

 

 

 

 止まらない咳にどんどん荒れていく様な気がする喉を、必死に水で潤す。鼻が詰まってしまったので口で深々と溜まった息を吐き出した。場所はあのライブハウスから差程離れていないファミレスだ。
 実は電話をかけたはいいものの返ってきた言葉は「ゴッメーンもうアルコール入っちゃった」と言うもので、
 

『じゃあさじゃあさ、一寸知り合いに電話してみるから君は近くのファミレスでも入って待っといでよ。』
 

 外で待ってると風邪が酷くなっちゃうかも知れないしね、大人しく待ってるんだよ?
 いい加減なのか優しいのかよく判らない電話の応答の後、回すのも億劫になった頭で考えてここまで来たのだ。ウェイトレスの可愛いお姉さんに食べもしないのに適当にハンバーグなんて頼んでみて。湯気が立ち上って、鉄板がいい音を立てるそれを目の前にしてみるが食欲はない。と言うか喉が痛すぎて何か食べようなんて思わない。
 今更ながらに飲み物だけお願いしておけば良かったんじゃないかなんて思い当たってみたりする。
 

(一体誰が来るんだろ…)
 

 知り合いに電話してみる、って、全然知らない人が来たらどうするんだ。申し訳ない上にこの厄介な風邪でもうつしてしまったらどうすればいいんだ。
 

「ゴホゴホ……あ゛ー…」
 

 どうにかしてくれいい加減、とか見当違いも甚だしいことを思ったその時、
 

「あれ…」
「え゛?」
君…?」
 

 ついさっき、聞いた声が再び聞こえて俺の名前を呼んだ。ハンバーグから視線を動かせば、やはり先程別れたばかりの金髪の彼。
 何でこの人が?という疑問は双方同じらしい。彼は俺を指さして首を傾げている。
 

「電話がかかってきて…友達の友達の友達がピンチだって。」
「…遠いね。」
 

 回り回って彼まで電話が行ってしまったらしい。あの一緒にいた人達と楽しくご飯でも食べていたのではないだろうか。俺は何だか申し訳ない気持ちでいっぱいで、慌てて頭を下げた。
 

「すいま゛せ…ゲホッ…」
「いいよ、別に。俺車運転出来るから、丁度良いし。」
 

 また咳が出た俺の背中をさすってくれた彼は、いたわる様な笑顔でそう言った。
 嗚呼何て善い人なんだ。
 元気な時だったら拝み倒したいくらいに善い人だ。
 

「俺、平義行。バンドでベースやってる。」
「俺は…」
君だろ?」
「あ、うん。ピアノ弾いてます。」
 

 俺の言葉に平君の目線が殆ど中身が無くなったグラスに向かう。直ぐに俺の目を見た平君が「成る程綺麗な指してるね」と笑った。

 

 

 

 俺の喉がこの通り使い物にならないから、移動する車の中で平君にいろいろな話を聞いた。今日行ってきたライブは平君が所属しているバンドの知り合いらしいこと。平君のバンドはBECK若しくはMONGOLIANCHOPSQUADという名前で、日本ではまだまだ知名度の低いインディーズバンドだということ。バンドメンバーはクセがある人ばっかりだけどとても素敵な人達らしいということ。などなど。
 平君はバンドの事をとても楽しそうに誇らしげに話してくれるのできっと良いバンドなんだろうなとしみじみ思う。
 

「…あ、ごめん。俺ばっか話すからあんま面白くなかった?」
「ん?んーん、全然そんな事ないよ、楽しそうで羨ましい。」
 

 俺はバンドを持っている訳じゃなくて、大抵他のグループにヘルプとかゲストとして参加する。だから平君達みたいに強く繋がっている訳じゃない。本当に羨ましい。
 

「そう?だったら良かったけど。」
「こっちこそごめんね、俺もこんな喉じゃなかったら、沢山話せるんだけど。」
「うん、君の話も聞いてみたいよ。」
 

 こういう状態じゃなきゃ俺は結構喋る性格をしてるので、実は自分の事も沢山聞いて欲しくてうずうずしていたりする。何で俺風邪ひいちゃってるんだろう。
 

(…まぁ、風邪ひいてたからこうやって平君に会えた訳だけどさ…)
 

「今度ウチのライブ来なよ。他の奴等にも紹介するから。」
「! うん、行く行く絶対行く…ッゴフ!」
 

 調子に乗って声のトーンを挙げたらまた一頻り噎せてしまって平君に心配されてしまった。馬鹿丸出しで、一寸恥ずかしい。普段はここまでバカじゃないんだよ、と弁明したいんだけどどう考えても言い訳がましいだろうし。
 それにしても、
 

「平君てお兄さん気質だよなー」
「へ?」
「や、なんとなーく。」
「……俺まだ21なんだけど。」
「とししたっ…」
「「……」」
 

 これって俺に落ち着きが無いと言う事なんだろうか、やっぱり。初対面の人にここまで恥ばかり見せるのも初めてかも知れない。
 何時か必ず、頑張って平君善い所を見せて汚名返上しようと俺はこの時強く誓ったのである。

 

 

 

 

(041024→060821)
BECKは面白い漫画ですよー!(と、いきなり宣伝してみる)
タイトルは懐かしのスクデリさんからです。