忘れたい日 忘れられない日

 

 何時も通りとギンコは化野の家の縁側で夕涼みをしていた。
 ふと、団扇をゆったりと扇いでいたが、傍らで寝転がっていたギンコを見た。その視線に応えるようにギンコもを見返す。
 

「どうした」
「そういえばこんな日だったと思ってね。」
 

 家の主である化野は、夕餉の買い物に行ったきり未だ帰ってこない。道中で物珍しいものにでも出会って足を止めているのだろうか。ぶつぶつと不平不満を漏らしながら背を丸めて買い物籠を持って出て行った彼の後ろ姿に二人して笑ったものだ。
 兎も角、の言葉にギンコは起きあがって首を傾げた。
 

「どんな日だ?」
「何も覚えてないねぇ、ギンコは…ほら、こういう蒸し暑い日だったじゃないか。」
「…ああ、」
 

 団扇で外を指し示しくるくると回したの言葉に、ギンコは暫く考えて漸く頷いた。思い出し始めれば、その形は急速に確かなものになっていく。

 

 

 

 眠っていたのは綺麗な人形のような人間だった。肌は絹のように滑らかで真白く、閉じられた眼を縁取る長い睫毛が影を落とす。
 

「蟲?」
「へぇ、そうです。」
 

 ギンコの短い言葉に何度も何度も頷いた村人は眠る人間に視線を落とす。
 村に数ヶ月も前から起こっていた怪奇の最中、やって来た人間がこの眠っている男なのだそうだ。男は自分の名前と、自分が蟲師である事を語ったらしい。
 

(男なのか…コイツは。)
 

 話を聞きながら、自分が一番留意した箇所はそこだった。もう少し真面目に聞こうとギンコは村人に気付かれぬように溜息をつく。
 村人が続けるに、村をくまなく調査した男が伝えたのはこの怪奇が蟲によるものだと言う事。どうにか出来ないのかと縋る思いで問うた村人に、男は一言「出来る」と答えた。
 だが喜んだ村人に、男は綺麗な眼でこうも告げた。
 

『出来るにゃ違いないけど一筋縄ではいかないと思うね。』
 

 その一言で泣きそうな顔をした村人に、男は苦笑して大丈夫だと言い聞かせた。一筋縄ではいかなくとも、この怪奇はぴたりと止めて見せよう、と。その代わり、
 

「『自分に何か起こった場合は、次に通りかかった蟲師にくれぐれも頼んでくれ』ってか。」
「へぇ」
 

 ギンコの言葉にまた何度も何度も頷いて、村人は頭を掻いた。
 村を助けてくれた蟲師の御方を助けてくんなまし、とギンコに村人が縋ってきたのは少し前。訳も判らぬままに連れてこられあらましを聞いたギンコは改めて男を見た。
 昏睡状態になってから、もう三ヶ月経つという。
 

「綺麗なモンだな。」
「へぇ…このまま息もしなくなったらどうしようかと心配してたんですが…」
 

 村を正常に戻してくれた男に、村人は余程感謝しているらしい。ギンコにもそれが分かる程、村人が男を見る目は真剣だった。
 

「多分村に巣くってた蟲を取り除いた過程か反動でこうなったんだろうがなぁ…」
 

 縋るような目でこちらを見てくる村人に、ギンコは眉を寄せた。思わず銜えていた煙草をきつく噛んでしまい、顔をしかめる。どうして他の蟲師が起こした事の収集を、自分がつけてやらねばならぬのか。面倒だとかなんだとか、いろんな感情が内で渦巻く。
 

「診てみる」
 

 それらを悟られぬように短く言って、ギンコは背負っていた箱を床に下ろしたのだった。

 

 

 

「起きてみたら暑くてかなわなかったねぇ…わたしが蟲を片付けた時は未だ肌寒かったのに。」
「俺はその暑い中火をたいたり湯を沸かしたり緻密な作業したりと大変だったんだがな。」
 

 のほほんと笑うに、ギンコは眼を諫め再び畳の上に大の字になる。ああ言う出会いでもなければ、こんな風にとギンコが友人関係になる事はなかっただろう。
 だが、ギンコにとってあの出会いはあまり心地の良いものではなかったようだ。
 

「もう一寸マシな遇い方もあっただろうが。」
「ふふ、そうさねぇ。」
 

 気忙しい蝉の鳴き声をぼんやりと聞きながら、はギンコの言葉に微笑した。
 

「それでもわたしには忘れ難い夏の日なのだよ?ギンコ。」
「俺は忘れたいよ…」
 

 それでも、忘れられないんだけどな、と小さく付け足してギンコは丸くなる。
 寝煙草はお止めよ、とが華奢な指でギンコの銜えている煙草を取り上げた時、へとへとになった化野の声が玄関から響いた。

 

 

 

 

(041229→060823)
夏を題材にしたタイトル消化で年末にアップした蟲師夢。
「午睡」と主人公設定は同じです。