邂逅の時 蛇足

 

 やべえ長居しすぎた!と慌ただしく燕青が出て行ってから暫く、呆けたようには椅子に座っていた。やがて、不機嫌そうな顔でどこへともなく声をかける。
 

「計ったでしょう、邵兄上。」
「会いたそうだったから、ついね。」
 

 いつから居たのか、棚の影から邵可がいつもの穏やかそのものの表情で顔を出した。先程まで燕青が座っていた椅子に座り、秀麗の饅頭に手を伸ばす。
 溜息混じりには手ずから兄に茶をいれた。いつもは兄がいれたいように、いれるままに飲んでいるが今日ばかりは自分がいれた普通の味の茶を飲みたかった。頭の中が、まだ軽く混乱している。
 

「弟じゃなくて燕青の味方ですか。」
「燕青くんと比べれば、どう考えたってお前の味方だよ。。」
 

 むくれたような響きの声の後に、即答で穏やかな声が上がる。憮然とした面持ちで、は兄から机へと視線を落とした。自分を見つめている兄が、にこにこと笑顔を浮かべているのは見 なくても分かる。
 

「会いたかったのは、の方だろう?」
 

 秀麗が行き倒れを保護したと言うから遠目に見に行って飛び上がるくらいに驚いた。多少薄汚れて、髪も伸び放題ぼさぼさで、更に無精髭が生えていたけれど忘れもしない浪燕青だった。一年間暗闇の中から見つめ続け、彼の身を守る手助けをして、気易く自分の中にも少なからず踏み込んできた彼だった。
 懐かしい思いに、直ぐにでも目の前に飛び出していきたかったけれどは踏み止まった。あの時自分は一度だって顔を見せはしなかったし、あれから十年弱。すっかりお互いあどけなさも抜けきって成長してしまった。
 何と言って顔を合わせたらいいのか、分からない。自分のことを分かってくれなかったときも、どんな顔をしたら良いのか分からない。
 自然には家にも帰らず、仕事中もそれとなく席を外し、徹底的に燕青を避ける作戦に出た。燕青の来た理由が自分の思うとおりであれば、そうそう長居はしないはずだ。何も言わずとも自分のことも他のことも知りすぎている兄は、何も言わないでいてくれるはずだった。
 なのに。
 

「どうだい?久しぶりに会えて嬉しかったかい?」
「…泣きたい気分です。」
「そうか、それは良かった。」
 

 睨め付けてもものともしない。むしゃくしゃした気分で秀麗の饅頭をかじる。食べ慣れた、美味しいそれは多少なりのささくれだった心を癒してくれた。兄と呼んでいたことは聞かなかったことにしてやろう、と食べながら思う。
 

「燕青くんが、お前を支えてくれたんだね。」
 

 暫くお互い無言で饅頭を食べていると、唐突に邵可が言った。顔を上げて瞬きすると、邵可はにこりと微笑んで窓の外に視線を向けた。
 暑い暑い、夏の陽差し。
 府庫は比較的ひんやりとした場所だが、こうも陽差しが強いと否応なしに室内の気温も少しずつ上がる。
 

「あの時にお前を茶州に遣るのは正直不安だった。」
「邵兄上、」
「でも、帰ってきたときのお前の顔を見てほっとしたよ。誰か良い人が居てくれたんだろうって、思ったよ。」
 

 それが彼だったんだね、邵可はに顔を戻すと優しく笑った。誰も周りにいないのに、はごくごく控えめに、まじまじと見てやっと分かるくらい微かに首を縦に振る。
 

「大丈夫、あの子はを軽々と置いていってしまったりしないから…寄りかからせて貰いなさい。」
 

 燕青が先程慌ただしく出て行った扉を見る。また今日の内に一、二度は秀麗なり彼なりがやって来そうだ。早く来てくれたらいいのに、と自分でも気付かないくらい自然に思った。
 今度顔を合わせた時は、もう少しまともに言葉をやり取りできると思う。そうしたら、そうしたら。
 

「邵兄上」
「…うん?」
 

 いつの間にか無くなりそうな饅頭を、さりげなく邵可から確保しながらは笑った。
 

 

「計ったこと、本当は腹が立ってましたけど、許して差し上げます。」

 

 

 

 

(060912)
引き合わせたのは邵可さんでしたとさ、っていう蛇足。