確かなことは、が桂木に情報を落とす蝶々だということ。俺の、学生時代の先輩だということ。
そして、俺のアパートにいつの間にか転がり込んでいたこと。
「雨だよ、嫌になるね。」
猫を探しに部屋の外に出たら、カンカンカン、と軽快な足音がして傘をさしたがやって来た。左手には近くにあるスーパーのビニール袋。味気ないビニール傘を畳んで、こちらにやって来る。若すぎる襤褸アパートの大家と、そこに住んでる貧乏学生くらい、に傍目からは見えるんだろう。
「なんで、おまえ、」
「ん?」
「どうしてここに住みだしたんだよ。」
情報を落とした蝶に与えられるのは、蜜ならぬ現金による報酬のはず。こいつは、いろんな詐欺師達から重宝がられている凄腕の情報屋なのだから、金には困ってないだろう。桂木経由ではなく、から直接、それこそ言い値でも情報を買いたい奴は多いって聞いた。
「お金がないんですよ。」
大家さんには感謝してます、とわざとらしく言ってみせる。
俺が明らかに訝しんだ表情だったんだろう。は眼を細めた。
「病院って結構経費が嵩むから、出来る限り切り詰めておかないとな。」
「病院?」
病気なのだろうか、と先ず思う。病気にしては元気そうに見えるし、普通に食欲もあるみたいだし。
「言っておくけど、俺じゃねえよ。」
肩を竦めて、は俺の横を通り過ぎた。宛がわれた部屋のドアノブに鍵を差し込む。短いやり取りは、的にはもうお終いということのようだ。けれど、俺は腑に落ちないことだらけでまだ全然終わりに出来ない。
「じゃあ誰だよ。」
鍵の調子が悪いのか、鍵をさしたり抜いたりしている後ろ姿に声をかけた。こんなに、本当なら問いただす必要なんて無いのかも知れない。
蝶々とクロサギ。
店子と大家。
元先輩と後輩。
そういう曖昧ないくつもの関係を抱えたままで。それでも踏み込みたい、と咄嗟に思ってしまったのは、
「死なれると、困るんだ。俺も、桂木のおじさんも…他のいろんな人が、困るから。」
解錠の手を一旦休め、やっと振り返ってくれたは慈しむような顔をしていた。
誰を、とは言ってくれなかった。恐らく、もう今日はこれ以上訊いても答えてくれない。
何も言い返せない俺に飽きたように顔をドアノブに戻して、また鍵と格闘を始める。そんな、なかなか開けれないくらいに立て付けが悪かっただろうか。それとも思うよりも、は不器用なんだろうか。
学生時代のことを思い出してみようとしたけれど、霞がかかったみたいに上手くいかない。
「……直そうか。」
縋るような声が、出た。
自分でも驚いていると、が再び俺を振り返る。首を傾げる。
「ドア、開きにくいなら直してやるよ。」
「ほんと?ありがたいよ。」
再会して初めて、ちゃんとした笑顔を見れた気がした。一瞬で、思い出そうとしても出来なかった学生時代のの笑顔と重なった。
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