A bump on a log

 

 病院の道を挟んだ向かい側に車を停めて、彼を待っていた。片手間に聴き始めたラジオが丁度終わる頃、病院の大きな自動ドアから出てくるのが見えた。ボーダーのタンクトップの上に薄手の白いシャツを羽織って真っ直ぐと歩いてくる。平日の昼下がりという見舞いの客もそれなりにいる時間帯に、その姿はやけに際立って見えた。


くん」


 運転席の窓を開けて、彼が近くなったのを見計らってから声をかける。
 顔を上げたくんは驚いたように何度か目を瞬かせた。道路の左右をきちんと見てから、こちらに走り寄る。


「白石さん、待っててくれたの?」
「待ってるって言っただろ?」
「でも、時間掛かるからいいって…」


 今日も揚羽蝶の見舞いに訪れた俺は、幸運にも同じ目的のくんに鉢合わせした。俺たちが見舞いを終えて退室しようとしたところで、揚羽蝶はくんを呼び止めた。
 一緒に帰ろうと病室に向かうときに言ったから、病院の外で待っているよと彼に伝えた。養父の話は時々すごく長いから、と申し訳なさそうに先に帰ってくれとくんは言ったのだ。
 それでも、結局勝手に待っていたわけだけど。


「乗って。」


 助手席を指すと、くんはそれ以上何も言わずに大人しく従った。それは多分俺の健気な行動に絆されてとか、そういうものではなく。
 従順なのだ、彼は。
 基本的に。
 ちゃんとシートベルトをつけたのを確認して、車を走らせる。直ぐに、大きくて白い病院は流れていった。


「退院出来そう?」


 俺が居なくなった後、何を話していたのかなんてそんな無粋なことは問わない。


「もう、いつでもできるんだけど。あのまま住みたいってさ。」


 シートに埋もれるようにして座りながら、くんは微苦笑を浮かべる。あの老人なら確かに言いかねない。
 俺も苦笑した。
 目の前の赤信号に、ブレーキを踏む。ぱっと、青に変わったスクランブル交差点で、人の塊が一気に動き出す。くんは助手席の窓から何気なく、その人の集まりを眺めていた。
 俺の眺めていた彼の小さな頭が、次の瞬間ぴたりと止まる。


「くろさき、」


 そっと息を吐き出すような、小さな呟きも俺の耳はしっかりと拾う。
 くんの向こうをこっそりと見やれば、行き交う人の波の中で動きを止めた人影があった。黒っぽい服装に身を包んだ、華奢な青年がこちらを―否、くんを見ている。
 驚いたような、強張ったような表情が遠目にも確認できた。
 くんはきっと、無表情だろう。この子はこういう事に関しては人一倍不器用だ。
 クロサギの顔が、強張ったままに俺に向いた。俺の顔を認めると途端険しくなる表情に、思わず吹き出しそうになった。


「―誰か、知り合いでも見つけた?」


 刺すように睨み付けてくる視線には気付かないふりで、何気なさを装いくんの後ろ姿に声をかけた。
 肩を震わせて、振り返った顔が安堵するように緩む。後ろ髪引かれるような素振りを見せながらも、緩く首を左右に振った。


「ううん、」
「そう」


 会話の間も、クロサギの視線は痛いくらいに感じていた。面白くないのか、嫉妬しているのか。
 歩行者信号が点滅を始めて、青から赤へと切り替わる。俺はくんの額に触れてから、ハンドルに手を掛けた。
 信号が青に変わり、アクセルを踏む間際にクロサギに視線を向けた。噛みつかんばかりの冷静さの欠片もない顔に笑みを浮かべ、顔を前に向ける。


「コーヒーでも飲んで帰ろうか。」
「え?いい、けど…」


 凄まれたところで、痛くもかゆくもない。
 あいつと俺では、立つ場所すら違うのだから。

 

 

 

 

(060907)
そろそろドラマで見ていた白石さんの面影が無くなってきた気がします。