A dog in the manger

 

 足が向いたのは黒崎が大家をしているアパートだった。ここに来て、黒崎に会うことは多くないし、顔を合わせたところで肝心の尻尾は掴めない。うまいことはぐらかされて煙に巻かれてお終い、かえってストレスばかりが溜まる。それでも来ないでいられないのは、何か些細なことでも見つけられやしないかと、そんな藁にも縋るような気持ちがあるからだろう。
 敷地内を覘けば、閑散としたものだった。店子はそれなりに居るはずなのに、ここに来て人とすれ違うことはまず無い。
 今日も無駄足だったかと背を向けた時、階段をおりてくる硬質な音がした。思わず振り返ると、細身の少年が階段を数段残して俺を見つめている。黒崎と同じ年の頃だろうか。


「この襤褸アパートに何かご用でも?」


 受ける印象とは違って、口調は乱雑だ。軽く首を傾いで俺をじっと見ている。
 大きな声ではなかったけれど、その声は鮮明に俺に届いた。俺は再びアパートに身体を向けて、彼に向かって歩く。


「大家は、」
「ああ、黒崎?」
「…知っているのか。」
「そりゃ、大家さんですから?」


 黒崎の名をあっさりと口にしたから目つきが鋭くなってしまったが、少しも怯んだ様子はない。足許に黒猫がじゃれついてきたのを軽く腰を屈めて撫でている。


「今は居ないよ、あいつ。出てる。」
「どこへ」
「さあ」


 黒猫を最後にゆっくりと撫でて身を起こした男は肩を竦めた。どうも飄々とし過ぎていて、疑わしいような気もするのにうまく掴めない。
 そういえばまだ名乗ってもいなかったと、俺はスーツのポケットから警察手帳を取りだした。開いてみせれば、片方の眉が素っ気なく上がる。


「へえ、警察さん。」


 声にも表情にも、特定の感情は浮かんでいないように感じた。しいて言えば、全く興味が無さそうだ。つまらなそうに首に手を当てて捻っている男に、一歩近付く。


「君は」
です。」


 あっさりと、男―は名乗ってくる。
 俺を押しのけるように階段を下りきって、向き合う。改めて並ぶと身長は黒崎よりも高いのだろう、同じ様なところに目線があった。頭の小ささに関しては、流石若者と言うべきかの方が小さい。スタイルが良いというのだろう。
 女は勿論、男だって惹きつけそうな容姿をしていた。


「他に訊きたいこと、あるの?警察さん。」
「…神志名だ。どうして君は、ここに住んでいる?」
「家賃が安いんだよ。見ての通り、ボロっちいアパートだから。」


 お世辞にも黒崎の経営するここは、素敵な外観のアパートとは言えない。無言を納得ととったのか、は口元を吊り上げる。
 皮肉ったような笑みだった。


「うちの大家さん、何かあんたに睨まれるようなことしたの。」
「それは、」
「ま、いいけど…俺に言えることは何もねえよ。俺はただ、身内の入院費のために家賃けちってるだけだからさ。」


 根掘り葉掘り訊かれることを嫌がってか、はあっさりと簡潔な理由を口にした。どこの病院かと問えばあっさりと近くの大きな大学病院の名を上げる。メモすることはしないで、しっかりと頭の中に叩き込んだ。
 可笑しいところは何もないように見える。職業を問えば、フリーターという答えが返ってきた。
 収入が安定しないフリーターが入院にかかる経費のために家賃をけちって襤褸アパートに住む。
 話の辻褄は合っている。


「大家と話したことは?」
「まあ、それなりには。」


 そう言ったはふと、黒崎の部屋の方を見上げた。
 全てを丸呑みにして、彼を解放する気にどうしてもなれない。しかし、突破口が見つからない。


「ここの女子大生とは?」
「…ああ、氷柱ちゃんね。」
「知り合いか?」
「あんまり。俺みたいのとはどうにも縁が無さそうだろ?」


 まるで予め準備された答えを口にするように、の言葉には淀みがない。俺の直感は、こいつが怪しいと警鐘を鳴らすのに。


「お手上げ?」
「…!」


 きゅっと眼を細めたが俺を見た。
 その眼の剣呑さに一瞬怯んだ。この年頃の少年に出来る表情じゃない、きっと、黒崎でもこんな顔は出来ない。
 俺への興味が削がれたかのように、はぱっと視線を外すと敷地の外に向かって歩き始めた。我に返って、追いかける。


「おいっ」
「質問も出切っちゃったみたいだし、今日はもういいだろ。俺も仕事があるんですよ、警察さん。」


 警察さん、と足を止めて振り返ったは鮮やかに笑っていた。ぐうの音も出ない俺に、じゃあね、と片手を挙げては行ってしまう。俺が道路に出た頃には、その姿はどこにもない。


「警察さんじゃない、神志名だ。」


 負け惜しみのような言葉を呟いて、拳を固める。今度こそあの涼やかな表情を変えてやると、心に誓った。

 

 

 

 

(070210)
神志名夢、しかもドラマの(笑)
自分は見たことないんですけど、少しはあるんでしょうかね?