Here I am

 

 引っかけたサンダルを気にしながら、少し俯き加減で玄関先に出てくる。
 その姿を見たときに、漸くやっと帰ってきたのだと思った。


「ただいま」
「おかえり」


 笑顔は旅立つ前となにも変わっていない。中身も、きっと変わっていないのだろう。彼を取り巻く、全ても、変わらずに俺を受け入れてくれるのだろう。


「帰ってきたらね、みんなで遊ぼうって話してたんだよ。猛と。」
「そうか」


 ゲーセンに行ってね、カラオケに行って、オールで歌おうか。
 言いながらほそまる瞳をじっと見下ろしていた。
 帰ってきて、全員で会っても良かった。それでもまず、空港を出たその脚でここに来たのは親兄弟より先にこいつに会いたかったからだ。親兄弟より先に、なんて言うと妹には申し訳ないし、何より目の前のこいつが怒るだろうけれど。



「うん?あ、立ち話も何だよね。入る?」
「いや……ああ、入る。」


 久美ちゃ、お嬢は今居ないんだよ、と、言うからどうしたのかと問えば、新しい赴任先に出向いているからとの返答だった。まだ日も高い時間。きっと今頃昔と変わらぬ様子で授業中だ。あの生徒と真っ直ぐすぎるくらい向き合う授業風景も懐かしい。
 振り返ることなく真っ直ぐと家の中に入っていく後ろ姿を追えば、時々すれ違う強面の人達が従順に頭を垂れた。俺に、じゃなくて、勿論に対してだ。相変わらずこの家に居てくれて良かったと思う。もし一家を建て直したりしてここを出ていれば顔を合わせるまでに余計な時間が掛かる。


「お茶で良いかな。」
「何でも良い。」


 伝統的な日本家屋、とでもいおうか、畳の上にどんと構える重厚な机、座布団。どれも久しぶりの感触だった。
 座って暫く待たされれば、お盆の上に湯飲みを二つ置いたが戻ってきた。奥から、坊ちゃんがされなくても、と野太い声が聞こえる。手ずから煎れてくれたお茶らしい。


「いいですってば、僕のお客さんなんですから。」


 奥に向かって身を乗り出して声を張り上げたは、少し照れくさそうに俺に振り返った。
 あっちに行って1年と少し経った頃送った薄っぺらいエアメールの返事に、分厚い封筒が届いた。の几帳面な字で近状がこと詳しく書かれたそれは、廊下に置いてあるスーツケースの中に大切に入れられている。
 だから、誰が今大学に通っているとか働いているとか、それくらいのことは頭の中に入っていた。


「みんな、元気か?」
「ラーメン屋でも覘いてきたらきっと一発で分かったのに。」
「…いいんだよ。」


 ラーメン屋はこの後向かう予定だ(こっそりとその予定には同行者のも組み込まれている)。
 俺の答えに笑ったは、お茶を一口含んでからゆっくりと話し出した。あの時の仲間が、今何をしているのか、の知ってる範囲で少しの脚色もなく忠実に。
 俺がその中に居なかったと言うだけで、おしなべて平和に過ごしていたようだ。も、まだこの家に留まったまま。
 話し終わったは大きく息を吐き出して湯飲みを両手に持つ。その中を覗き込みながら、呟いた。


「お嬢の新しい教え子を見てるとね、まるで僕らみたいだと思ったよ。」


 俺たちみたいな教え子とは、また、あいつは随分と厄介な生徒を受け持ってるんだな。あの頃の俺達は、本当にどうしようもなかった、気がする。それでもそれを後悔したことはないし、みながみな、今も大切な友達であるけれど。


「それを思う度にね、さみしかったんだ。」
「…寂しい?」


 湯飲みから俺へと顔を上げて、泣き笑いのような顔をする。手を伸ばしたくなった衝動を堪えて、自分の湯飲みを手にした。


「懐かしくなっても慎にだけは、直ぐに会えなかったから。」
「……」
「おかえりなさい」


 海外に居た時間は、とても貴重だったけれど、良いことばかりじゃなかった。柄にもなく泣きたくなることも、人恋しくなることもあった。
 に、会いたいと、声を聞きたいと思うことも。
 それを我慢して、乗り越えてきて、自分で納得した帰国。それをやっと、実感できた気がした。

 俺は、帰ってきたのだ。ここに。

 

 

 

 

(070310)
原作の方のごくせんでは普通に弁護士になるために大学進学のようですけれども。
慎が帰ってこないかなーといつも黒版(を疎らに)見ながら思ったものです。