蝶々とか、バタフライとか、きらきら綺麗な通り名で呼ばれていて。聞けるのはやたら綺麗な言葉や讃美ばかり。どれだけ顔を合わせるまで気を揉んで、緊張したか。
「あ」
「はあ!?」
何が蝶だ。
気高くて孤高、だ。
美しくて何たらかんたら、だ。
男じゃないか。しかも、長身痩躯でこっちの身長の低さを再確認されるような目線。
そして何より、
「っ…!!」
「あー…黒崎、だっけ?」
顔見知りだよ、チクショウ。
何が悔しいって、桂木のくそじじいの前で声を荒げてしまったことだ。意味ありげに片方の口の端を吊り上げて、笑った桂木を睨み付ける。平静を装って、吃驚したのかしないのかよく判らない涼しい顔のの隣に腰掛けた。直ぐに早瀬さんがコーヒーをふたつ、持ってきてくれる。の前には何もない。来たばかりなのかも知れなかった。
「懐かしい顔にも会ったもんだな…桂木さん、今日俺を残しておいたのはこの所為?」
「さあな」
「面白がってんでしょ、桂木さんのことだから。」
ふ、と息を吐き出して緩く笑ってからはコーヒーに口を付けた。すっかり余裕だ。
てんぱっているのはこちらだけか。
「お前が蝶々?」
深呼吸を繰り返して、やっと問いかけることが出来たのは桂木との話題が漬け物の糠に及んでからだった。もう、面白いとか会わせようとしたとか、そういう話からはすっかり遠ざかった頃。
「そうだよ」
あっさりと肯定したは左肘を机について、その手に左の頬を載せる。じっと、俺の顔を見つめてきた。探るような視線、と言うよりは、ただぼんやりと見つめられている。
その目は懐かしかったけれど、こんなところで見たい目じゃなかった。
「俺の持ってきた情報は、お前にも流れてる。」
「…蝶なんて、柄じゃ無いだろ。」
「ごめんね、可憐で可愛いちょうちょじゃなくって。」
女の子みたいに首をきゅっと竦めて笑顔。でかいくせに、おとこのくせに、でもその笑顔は不釣り合いではなかった。
コーヒーを飲み干したは、二の句を接げない俺を放ったまま席を立った。
「桂木さん、それじゃ、また3日後。」
「ああ」
「待てよっ…」
「駄目だよ、黒崎。」
立ち上がろうとした俺の口元にすっと人差し指。白くて、細い、少し骨張ったそれがのものだと気付くのに少し時間が要った。
「一見さんは、お断り。」
「一見って、俺とあんたは、」
「蝶が尽くすのは、基本このおじいちゃんだけだよ。
…御得意さんになったり、仲良くなれば別だけどな。」
顎で桂木を示して、再び俺を見たとき、の目は剣呑だった。
俺が普通の人の生活から少し踏み込んだ場所にいるように。ただ、笑ったり少しはぐれたり、適当に過ごせていた学生の時とは違うんだ。も、また。
それ以上何も言えなくなった俺を満足そうに一瞥して、の姿は消えた。桂木が漬けたばかりの漬け物を吐き出している横で、奥歯を噛み締める。
ぎり、と嫌な音が耳に響いた。
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