青い魚 1

 

 校長先生か何先生か知らないが、入学式の祝辞なんて最初の一言も聞こえなかった。あっという間に、椅子と拳が飛び交う殴り合いになったからだ。怒号につつまれた体育館は、今ここに入ってきた人には元々何をしていたかなんて分からないに違いない。
 

(…まあ、こんなもんなのかも。)
 

 心の中で呟いた俺は、適度に騒ぎから離れたところでぼんやりと乱闘を眺めていた。
 こんなもん、で、何となく納得できてしまう自分もどうかと思う。しかし、本当に「こんなもん」なのだ。この学校で清々粛々と行われる入学式に意味など無い。
 鈴蘭男子高等学校―偏差値最低の男子校。でも、最低だけど「最凶」の男子校。嫌われ者のカラスばっかりが集まる学校だ。
 生徒達は授業や部活なんてそっちのけで、鈴蘭のてっぺんを目指して日々拳を振るう。殴って蹴って、血を流して鈴蘭の統一と制覇だけを夢見て3年間を過ごす。普通だったら有り得ない常識が罷り通る。ここは、そういう学校だ。
 

(しかし、右も左もわかんない状態でよくやるよなぁ…。)
 

「よくやるよな、こんなの。」
「! う、お!?」
 

 考えていたことをまあまあそのまま言葉にされて、飛び上がるくらい吃驚した。大仰に隣を見れば、腕組みをした男子がひとり、俺ではなくて乱闘騒ぎの方を見つめていた。多分、こいつが言ったのだ。
 知らない顔だ。だが、知らなくても当たり前だ。俺は自分以外のここに居る人間をひとりだって知りはしないのだから。
 

「こんなやっとクラス分けがわかったくらいの状態で殴り合ったって意味ねえっつの。なあ?」
 

 外れない目線に、言葉とは裏腹にさぞや乱闘の方に興味があるのかと思いきや、全くそんな雰囲気はない。むしろ、乱闘騒ぎを小馬鹿にしたような響きがある。呼びかけつつ、相変わらずこちらを見ないその様子に興味をそそられた。ちらりと横目に、乱闘騒ぎの本人たちが聞いたら更に怒りそうな物騒な発言をした主を見る。
 高校生になり立てとは思えない、垢抜けた外見をしていた。身長は、自分とそう変わらない。でも、最初からちゃんと着る気がないであろう着崩した学生服や、やたら高そうなウォレットチェーンが周りとは違う新入生であることを知らしめていた。なおかつ、醸し出すオーラが周りとは違う。それなりの実力に裏付けされた自信が満ちあふれた、堂々とした仕草のひとつひとつ。
 こういう場にありがちな、強面の感じは全く見せない。どちらかといえば女の子のうけも良さそうだ。
 

「一部を除けば、目星い奴も居なさそうだし…統制されちゃうのも早そうだな、この学年。」
「…ふうん。」
 

 さっぱり興味の無い俺にとっては、この乱闘も「いつまで続くんだろうなー」くらいの感想しかない。誰が目星い奴で誰が目星い奴じゃないかなんて、ぱっと見ただけでも分からない。入学式にして鈴蘭という学校にはすさまじく馴染んでいる奴らだとは思う。感想といえばそれくらいだ。
 大体、ゆっくり顔を観察出来るような騒ぎじゃないのだ。どうして殴り合ったり倒れてる奴らが強いか強くないかとか分かるんだ。
 

「同じクラスだよな?」
「そうなの?」
「さっき、斜め前にいたよ、お前…なあ、名前は?」
 

 後ろに目がついているわけではないから、当然斜め後ろの風景など見えなかった。彼の言うとおり同じクラスなのかなど分からないが、こんなことで嘘を吐いたって得しないから同じクラスなんだろう。
 ちなみに、校内のどこかにクラス分けの紙がちゃんとあったかも定かではなく、入学手続きのあと送られてきた何枚かの紙の中から「1年D組」という情報を拾い上げた程度の認識だ。恐らくは、こうなることを教師達も見越して最初からクラス分けを郵送してきたのだろう。
 だから、自分自身がD組だという認識はあるのだが、いかんせん他のクラスメートの顔も名前も分からない。入学式の最初の並び順はクラス通りだったけれど、直ぐに椅子ごとどこかに行ってしまったり、椅子を置き去りにしてどこかで集まってしまったり、全く並んだ意味はなかった。
 体育館の隅にちゃんと学ランを着こなし、名札を付けた奴らが震え上がっているが、そっちの方もクラスを確認することは難しい。何しろすっかり怖がっているから、声をかけた瞬間逃げられそうだ。
 と、いうことで、俺にとっては彼が一番最初に認識するクラスメートというわけだ。
 

。」
 

 本当は、名乗られもしないのに聞かれるまま名乗りたくなかった。でも、ここで場外乱闘をたったふたりで繰り広げるのも不本意だ。対岸の火事が飛び火したのではたまらない。
 あっさり名乗ってやると、隣の誰かは頷きながら自分の名前を口の中で反芻している。一体俺の何が、こいつをそんなに惹きつけているんだろうと不思議でならない。端すぎる端に寄らず、震え上がっていないくらいで、この終わりの見えない取っ組み合いに関わる気がないのは少数派の奴らとそんなに変わらないだろう。
 頭の中に俺の名前を叩き込んだのか、やがて奴は、真っ直ぐとこちらを見つめてきた。雰囲気にそぐわない愛嬌のある大きな目で凝視した後、にやりと口元を歪める。たったそれだけで、愛嬌のある顔は狂気の滲む鈴蘭の生徒らしい顔つきに変わった。紛れもなくこいつも、誰にも引けを取らない強さとか、鈴蘭の統制とか、そういうものに手を伸ばそうとしている人間のひとりなのだ。
 

「俺、伊崎瞬。見たこと無い顔だな…何中出身?」
「知らなくて当然だと思う。俺、県外出身だから。」
 

 隣県ですらない中学の名前など、出したところで首を傾げられるのがオチだろう。伊崎と名乗った彼に愛想もなく答えてやった。
 俺が、体育館で騒ぎまくっている迫力のある彼らのことを全く知らないのはその所為だ。
 良い噂だろうが、悪い噂だろうが、どちらにしろ一定以上であれば他校の人間にもその名は広まっていく。後者の理由で彼らはある程度の強さを持っているとそれなりに名前も顔も既に知り合っているらしい。だが、流石に県外までそういう噂は広がって来ないのだ。
 

「へえ。県外からわざわざ鈴蘭に、ね。」
 

 返事を聞いた伊崎は、意外だとでも言うように片眉を上げた。その顔を見て、言葉の順序を誤ったかも知れない、と思った。まるで、俺が県外から鈴蘭に好きこのんで入学したようにとられている気がする。
 

「…言っとくけど、」
「ん?」
「俺、統一とか制覇とかてっぺんとか、そういうものには全く興味ないから。巻き込むなよ。」
 

 墓穴かも知れないと思いつつ、事実だったから一応先手を打って白状しておく。
 すると、俺の言葉を聞いた伊崎の顔は、みるみる間に暗たんたるものになっていった。勝手に勘違いしてたくせに、それで本当のことを言ったら不機嫌になるなんてずるい。

 

 

 

 

(090207)
鴉零夢ですー、取り敢えず伊崎に見初められる(違う)主人公。
ちなみに、マンガは未読で映画だけが頼りです。
そして当然のように1年〜映画OPにいたるまでの彼らは捏造です(笑)