青い魚 3

 

 あの良く分からない入学式から、早1ヶ月半。俺も新しい町と学校にやっと慣れてきた。
 とはいえ、学校で授業を受けたおぼえはあまりない。部活動も当然のように記憶にない。(そもそも機能している部活があるのかすら疑問だ。)毎日きちんと登校しているものの、見えるのはガンつけ合って喧嘩に発展しているクラスメート。聞こえてくるのは因縁つけ合う声と、高確率で次に続く怒鳴り声だ。
 どうやら鈴蘭のてっぺんを目指すにはまず学年を統制しなきゃならないらしい。学年の前には、クラス。ゴールデンウィークが過ぎる頃には、1年のそれぞれのクラスでも、実力者が頭角を現し始めていた。何も知らなかった俺でも、ここまでくると各クラスの実力者の名前くらいは分かっ てくる。毎日のように「あいつが邪魔だ」「目障りなんだよ」と前置きと共に名前を聞くからだ。
 

「おい、!」
「…」
「聞いてんのか!おい!!」
 

 そして、とてつもなく厄介なことに、この1ヶ月半で俺の周りもすっかり物騒になってしまった。自分から首を突っ込んだ覚えはないのだけれど、
 

「返事しろっつってんだよ!!」
「…あー、もー!うっせぇなあ!耳元で騒ぐんじゃねえよ!!!」
 

 1週間に一度、頻繁だと2日か3日に一度、こうやって呼び止められて喧嘩を吹っかけられる。買わなきゃいい話なのだ。自分から売ってはいないのだから。でも、やっぱりどうしても売られると買ってしまう。むしろ、こうやって定期的に喧嘩を売られ続けて前よりも忍耐というものがなくなってきた気すらする。
 校舎裏、振り返った先には非常にガラの悪い男が立っている。いかにもヤンキーです、喧嘩大好きです、的な奴だ。そして、とても見覚えがある。クラスメートだ。
 

「んの用だよ。」
「勝負しやがれ。」
 

 いつもと同じパターンに、俺は隠さず深々とため息をついてやった。当然、相手は顔の凄みが増す。
 目の前のこいつのような体格の奴らにしてみれば、俺は随分と小さい。華奢にすら思われるだろう。でも、生憎いくら体格が段違いにでかい相手でも、いくら凄まれてもそれで萎縮してしまうような性格ではない。うるさいなと視線に込めて睨み返す。
 

「俺喧嘩とか興味ねえの。鈴蘭のてっぺんとる気もないから、勝負持ちかけるなら他の奴にやってくんない?」
 

 これだけ睨みつけておいて他を当たれなんて言っても無駄だろうが、一応断ってみる。これでお引取り願えるなら嬉しいけど、目の前では凄みのある顔がなおかつ真っ赤になり始めた。肩もわなわなと震え始めてしまっている。どうしてこう、こういう外見の奴は短気な奴が多いんだろう。もう少し気が長くても人生困らないと思う。
 

「ふざけんじゃねぇぞ!バカにしやがって!!」
 

 言うが早いか、奴は分かりやすく拳を振り上げて殴りかかってきた。
 

(バカになんてしてねぇって。)
 

 はあ、と、もう一度ため息をつきながら俺は相手を睨め上げた。拳が振り下ろされた瞬間に、体勢を低く落として一歩踏み込む。潜り込んだ懐で、鳩尾に硬く握った拳をめり込ませ た。ドス、と鈍い音と同時に、拳にずんと痛みが走る。
 

「、っ!」
 

 体格差のせいか露骨に飛び上がったり吹っ飛びはしなかったものの、頭上の顔が苦痛に歪んだ。ふらふらと覚束無い足取りで2、3歩下がる。
 俺はその隙にめり込ませた右手首を振りながら、しっかりと背筋を伸ばす。これで相手が諦めれば、お互い疲労せず、(主にあちらさんが)痛い思いもそんなにしないで済む。だけど、これくらいでは終わらないのが喧嘩だ。
 

「く、そっ…涼しい顔しやがって…」
「うるせえな。売ってきたのも最初に殴ってきたのもそっちだろ?」
 

 もう一つ言えば、涼しい顔じゃない。単に呆れているだけだ。
 カウンターで一発殴られたぐらいで屁理屈だか泣き言だか、そんな弱音は吐かないでもらいたい。こちらは嫌だとはっきり言ったのだ。
 痛みか悔しさか、顔を盛大に歪ませた相手は両足で踏ん張ると、地面に唾を吐き捨てた。こんな所までチンピラというか、まるで映画やドラマの三下悪役だ。俺はそれに合わせて少し身体を斜に構える。長引いたって良いことはないのだから、そろそろ終わりにしたい。
 ちなみに、一番手っ取り早く終わらる方法は負けることだ。一発殴られて倒れればいい。その後追加で殴られるか蹴られるかするかもしれないが、負けてしまえば相手だってもうこちらに用は無いだろう。
 ただ、だ。
 俺は買った以上負けるのも嫌だ。めんどくさがりである以上に、負けず嫌いなのだ。だから、売られたら嘗められるのが死ぬほど悔しいから、買う。今この瞬間だって、負ける気なんてさらさらない。
 

(この性格が仇になってんだろうなあ…。)
 

 損な性分だとつくづく思う。余程頭にきたのか今度は無言で殴りかかってくる相手を拳に手を当てていなしながら、自分で自分に呆れてしまう。この性格のおかげで鈴蘭で1ヶ月半頑張れたにしても、我ながらもう少しスマートにできる気がしてならない。
 まあ、喧嘩しながらそんなことを考えても始まらない。今更、というやつだ。
 かわされては振り返り、向かってくる。そんな同じ事ばかり繰り返してくる相手に、俺は眉を寄せた。
 

「馬鹿の一つ覚えって言うんだぜ?そーゆーの。」
 

 腹に蹴りを一発。今日は天気も良くて磨いたばっかりの革靴を履いてきたから、腹にめり込んだ踵はさぞかし痛いだろう。何より、さっき殴ったばっかりの場所だ。 強靱な肉体を持っていたって、さっきのダメージが抜けきっているとは思えない。
 

「っ…」
「あ、のびるなよ?聞きたいことあっから。…さ!」
 

 相手が蹌踉けて前身を屈めたところを、イチ、ニ、と大股で追いかける。そして、その顔目指して振りかざした手をそのまま勢いよく水平移動させた。小指が相手のほお骨に当たってしまったらしく 、ちょっとばかし痛さに口の端が曲がる。
 だが、相手にしてみたらそんなもんじゃない。思い切り加速度を付けてぶち当たった俺の拳の所為で、ぶはっと盛大に息か唾か吐き出しながら地面に横倒れになった。腹を抱えて、縮こまって辛そうな呻き声を上げている。最後の蹴りと横殴りに関しては、力加減も忘れてヒットさせたから、ここから立ち上がって更に、なんてことは無いはずだ。
 俺は相手の顔の前辺りにしゃがみ込んで、顔を覗き込むように首を傾げた。悶絶気味の相手は、こちらに視線を寄越す余裕も無さそうだ。俺の注文どおり、のびてしまわなかっただけ良かったとしよう。
 

「なあ、誰に言われて俺に喧嘩売ってきたの?」
「……くそ、」
「俺、結構静かーに、してるよなあ?言われなきゃ、わざわざ売ろうなんて思わねえだろ?な?」

 

 

 

 

(090322)
喧嘩ふっかけられたにしても、最後の方は主人公の方がいじめっこみたい(笑)
しかし、喧嘩だけで終わってしまったぜ…。